<撮影使用機材> ボディ:CANON EOS 5D Mark II レンズ:EF70-200mm F2.8L IS II USM、EF24-70mm F4L IS USM、EXTENDER EF2×III 三脚:HUSKY ハスキー3段 #1003
2010.7.4.sun.6th.fine
"HOTEL INNOVA"(ホテル・イノーバ?)。
部屋に入り、荷物を扱いやすい位置に置いて、窓を開け、水まわりの具合を確認した。
古い石造りの建物で、シャワー、トイレはカーテンで仕切られただけだが、一人なので支障はない。
鎧戸を開けると向かいの建物と通りが見える。
向かいの一階は高級目のレストランのようだ。
バックパックからモバイルパソコンをとり出して立ち上げてみた。
すると、"free spot"の信号が入ってきたので接続してみるとインターネットにつながった。
ホテルが無料で無線LANを提供しているらしい。
日本にいる家族とskypeで話をした。
下の娘は仕事の関係で、来週の金・土・日で東京に面接に行くという。
保証人は上の娘になってもらったらしい。
こんな時、親として対応できないことを少し悲しく思った。
町中にスーパー・マーケットを見つけた。
食糧品から雑貨、酒類まで必要なものはすべて揃っている。
レジでは買う商品をベルト・コンベアーに載せて、店員が手元に引き寄せて計算する。
レジの店員は日本と違い、椅子に座って仕事をする。
労働者の待遇はいいのだろう。
トマトとパンとビールそれに洗剤を買った。
買出しからホテルに戻って、レセプションでアルルのフォトフェスティバルのパンフがないかと探していると、おじさんが出てきて買ってきたビールの袋を見て何か言っている。
「持ち込みはだめだ」とでも言っているのだろうか。
そのあと、トワレットがどうのと言い、部屋の鍵を開けさせた。
トイレのフラッシュボタンの押し方で水が流れっぱなしになっていたらしい。
「メルスィー」と言って引きとってもらった。
おじさんも悪い気はしていないようだった。
ただ、持ち込みはひとこと注意しておかないと立場がないという感じだった。
しかし、このホテルにはレストランはなく、ルームサービスもなさそうだったが、日本のビジネスホテル並みの扱いではいけないのだろうか?
明日はアルルに行ってみようか。
行ってから、その先どうするか考えるか。
あと2日ほどここアヴィニヨンでの滞在を延長してもいいし。
スーパーがあるから食料は調達できるし、人は親切なので居心地は悪くない。
同じフランスでもパリとは大違いだ。
夜遅くまで車の排気音やカー・ステレオの騒音、人の大声でのやりとりなど町の喧騒が絶えない。
2010.7.3.sat.rainy
朝6時に起き、朝食をとったあと、荷造りをした。旅なれてきて、ずいぶんパッキングが
うまくできるようになった。
朝食は、ハムとチーズが変な味で食がすすまなかった。
チーズと玉子焼きを残した。
昨夜は、ハイネケン500mlを2本と350mlを1本、それにホテル近くのKFC(ケンタッキー・フライド・チキン)で買った"Twisuter"を食べた。
昼食はというか、もう2時を過ぎていたが、ビール2杯とシーザーサラダだった。
サラダは三分の一ほど残した。
炎天下の街歩きで疲れていたのだろう。食事がすすまなかった。
昨夜の就寝は早めにしてぐっすり眠った。
今日は、パリ・リヨン駅からTGVに乗りアヴィニョンへ向かう。
切符は昨日買っているので安心だ。
リヨン駅を下見しておいて本当によかった。
いきなり行ってたら駅の入り口がわからず迷い、切符もちゃんと買えたかどうか・・・
小雨降る中ホテルを出て傘をさし、カートをゴロゴロ引きながらGoussanville(グーサンビル)駅まで歩いた。
RERに乗り、パリ・リヨン駅に向かった。
RERにも慣れたと思っていたら、つい油断して一駅乗り過ごしてしまった。
一駅戻って、パリ・リヨン駅構内の電光掲示板の前で待っことにした。
南フランス方面の列車は、この駅から出ている。
列車の乗り場"Voie"は発車間際にならないと決まらないらしい。
航空機の管制官みたいなのがいて、列車の運行を采配しているのだろうか。
13時15分発のTGVに乗り込んだ。
車内はヴァカンスを南フランスで過ごそうとする人々で一杯だ。
パリ・リヨン駅を出て30分もすると列車の両側に広大な農地が視界に入ってくる。
フランスは農業国なのだとあらためて思う。
EU(欧州連合)の中では最大らしい。
窓から写真を撮ろうとするが、電車なので電柱が一定間隔で入ってきて邪魔をする。
まるく小高い丘陵に古い石造りの農家。丘の上の教会。
野菜、オリーブ、葡萄などの畑。
なだらかな牧草地。
いつか旅行雑誌の写真で見たことのあるような風景がつづく。
パリ・リヨン駅からいくつかの大きなダンボール箱とボストンバッグそれにヘルメットを積んで乗りこんできた若者が、「アヴィニヨンに着いたぞ!」(と言ったのだろう)と奇声を上げたので、
彼に「アヴィニヨンか?」と確認すると、
嬉しそうに「そうだ」(と言ったのだろう)と首を縦に振った。
パリから2時間41分。
列車を降りたとたん目がくらむような白熱の日差しに晒された。
炎天下のアヴィニヨンTGV駅は何にもないところだった。
まずは、ホテルを探さねばならない。
iの標識に従って駅裏の方にカートをゴロゴロ引いて歩いて行ったがiが見つからない。
レンタカーのオフィスに入ってみたが、ホテルの情報はない。
駅表のバス停からアヴィニヨン中心街に行くバスがあったのでとりあえず乗ることにした。
15分ほどでアヴィニヨン・ポスティエに到着した。
そこは、城壁に囲まれた公営団地のような印象の外観で、バスは入場門から中に入りターミナルで停車した。
バス停にいたおじさんにホテルの方角を聞くと、「あっち」と教えてくれた。
教えられた方向に城門を出て歩いて行くと、たしかにグランドホテルがあった。
しかし私には予算的に泊まれるところではなかった。
iの標識が見えたのでその方向に歩き、またポスティエに戻った。
そして、さらに町の奥の方に入って行った。
片側一車線の道がまっすぐはしり、その両側に広い歩道が続いている。
歩道には10メートルはゆうに超える大きなプラタナスの並木が続き、暑い日差しを遮ってくれる。
祭りがあっているらしくにぎやかで、色とりどりのポスターが貼りめぐらされ、カフェの前のテーブルではたくさんの人々が、ビールを飲んだり、おしゃべりをしたりしてくつろいでいた。
バックパックにカートを引いて町の中心部に向かって歩くと、珍しいものを見るように視線があつまる。
iを探すが見つからない。
ホテルはいくつもある。
フランスではホテルの入り口に宿泊料金が掲示してあるので分かりやすい。
”Hotel Danieli”(ホテル・ダニエリ?)という古い石造りのホテルに入ってみた。
40歳くらいの大柄な金髪の女性が、レセプションで他の客とやりとりをしていた。
横でパンフレットなどを見ながら待っていると、私に用は何かと問いかけてきた。
料金を聞くと一泊60ユーロという。
6万円?と思って「ノー」と断り、いったん外に出たが、6000円の勘違いだと気が付き、引き返して一晩泊まることにした。
空き部屋は一室だけだった。
内装は新しいが狭くいびつな形で、高い窓から見えるものは石の壁と空それに空調機だけ。
まるで刑務所の独房のような印象だ。
シャワーはついているがトイレは室外の共同で、トイレには手洗いがなかった。
フランス人の衛生感覚がよくわからない。
ホテルに荷物を置いて、散策に出た。身が軽かった。
カフェでビールと白身魚のムニエル風の夕食をとり、この旅で初めてゆったりとした時間を過ごした。
食事のあと、街を散策しながらホテルの料金を見てまわることにした。
"HOTEL INNOVA"(ホテル・イノーバ?)トイレ、シャワーつきで58ユーロ。
ガラスのはめ込まれたドアを開け、正面の階段を昇るとレセプションがあった。
レセプションのおじさんは英語が分からず、彼は電話で分かるスタッフを呼び出し、私は彼女と話をした。
2泊予約し、明日の朝来るからと告げて電話を切った。
2010.7.2.fri
明日、南フランスのアヴィニョンへ向かうことにした。
アヴィニヨンへの列車はパリ・リヨン駅から出る。
当日になって慌てなくていいように、駅を下見して切符を買っておくことにした。
Goussanville(グーサンビル)からRERに乗り、Gare du Nord(ガール・デュ・ノール=北駅)を過ぎて二つ目の駅だ。
大きな駅で、地下にあるRERのホームで降りて、バスの発着所への案内をたよりに外に出たが、駅の正面玄関がわからない。
結局見当違いのブロックを一周して、やっと入り口にたどりついた。
やはり今日来てみてよかったのだ。
もう、とっくにお昼を過ぎていたので、とりあえず昼食をとることにした。
駅構内にある大きなカフェに入った。
しかし、カフェのウエイトレスは最悪だった。
なぜあんな態度をするのか、分からなかったが、日本人が嫌いなのか、あるいは中国人と見られての偏見だったのかと今にして思っている。
白人のウェイトレスにアウトサイドの席を希望すると、眉間に皺をよせしぶしぶ案内するのだ。
テーブルに着きビールを注文すると、黒人のウェイトレスはやはり汚いものでも見るように眉間に皺をよせ、後の注文も聞かずにさっさと奥にさがってビールを持ってきた。
そして、シーザー・サラダを注文すると迷惑そうな顔をしてまた奥に入って行った。
何が嫌なのか分からないが、白人の客には笑顔で接している。
「One more beer」ともう1杯注文すると、
「Can you sperk engrish?」と怒ってまた眉間に皺をよせ、わざとのように生ぬるいビールを出してきた。
勘定を済ませて地下のトイレに入ると、やはり番台のおばさんが嫌な顔をしている。
どうも、この店は日本人嫌いで統一されているようだ。
ところが、i(ツーリズム・オフィス)と切符売り場の女性は笑顔でとても親切にしてくれた。
iでTGV(高速列車)のタイムテーブルをもらい、乗りたい列車に印をつけて切符売り場に行くとSNCF(フランス国鉄)の若い黒人女性スタッフがむこうから問いかけてきた。
明日のTGVに乗りたい旨を伝えると、自動券売機を案内してくれ、親切にも操作方法まで教えてくれたのだ。
こんなに嬉しい思いはなかった。心から「メルスィー」を言った。
なぜあのカフェはあんなにひどかったのだろう。
Goussanville(グーサンビル)にもどり、駅前の雑貨屋でビールを買った。
そして夕食にと、ホテルの近くの”ケンタッキー・フライド・チキン”で"Twister"というカバブのようなもののセットを買った。
シャワーを浴びて食事にしたが、疲れのせいか半分しか食べられなかった。
2010.7.1.thu
モーニングは6時から10時と聞いていた。
朝6時に起き、7時過ぎにモーニングをとろうとエレベータにいくと、電源が切られていた。
部屋の電話から直通#9でレセプション(reception)を呼んだら眠そうな女性の声で、
「10時からにしてくれ」と言う。
エレベータのことを説明しようとすると、
「What time is it!(今何時だと思ってんのよ!)」と怒鳴られたうえ電話を切きられた。
しかたなく、1時間ほど暇をつぶしていたが、廊下を歩いていてふと窓から下を見ると、玄関前のテラスに人がいる。
彼女は東洋系の長い髪で、テラスに並べられた白い丸テーブルの椅子に腰掛けパンをつまんでいた。
二階から呼びかけ、事情を言って、レセプションに誰かいるか見てもらおうとしたら、
「階段があるはずですよー」と言う。日本人だった。
廊下の突き当たりにある非常出口には、鍵がかかっていたので、
「非常階段は鍵がかかっているんですよ」といってみて、他に階段があるのかもしれないと思い、
「探してみます」といって引っ込んだ。
探したら、エレベータのとなりのドアから1階に下りる階段があった。
こんなことで1時間も暇をつぶしていた自分が可笑しかったが、ドアにはそんな表示はないし、フランスとはなんて不親切な国なんだと思った。
このとき、この国の外来者への対応を予感した気がした。
1階に降り、テラスの女性に礼をのべ(彼女は携帯電話で誰かと話をしていたが)、レセプション・クラークに「エレベータが動かない」と言うと、
「ホール!」という返事が事もなげに返ってきた。
点検中ということだろう。
浅黒く、髪の縮れた坊主頭の男はゆったりした物腰でこちらを覗い、ホテルとして設備の不具合を詫びる様子はいっこうにない。
2階のエレベータに”点検中”の表示でもあれば何でもないことなのに、エレベータが動かなければ階段を使うのが当然だろう、という態度だった。
それにしても、あの”#9レセプション”はいったいどこに繋がったのだろうか。
モーニングをとったあと、昨日レセプションの若いクラークに教えてもらったRER(高速郊外鉄道)の駅Goussanville(グーサンビル)にむかった。
「ホテルを出てレフト、ブリッジをくぐる、レフト」という案内は正しかった。
駅前には紙くずや空き缶がちらかり、西部劇の荒れ果てた町の情景と重なった。
窓口に並び、10枚セットのカルネを買った。
RERにはパリから郊外にはなれるにしたがって、ゾーン1からゾーン5まで料金エリアがあり、ここGoussanville(グーサンビル)はゾーン5で35ユーロだった。
窓口の太ったおばさんは私が英語で話すのが気に入らないらしく、不機嫌な表情で、さらに小銭を持ち合わせていなかったので、大きな声で何かまくしたてた。
「ちゃんと小銭を用意しとかなきゃだめじゃないの!」とでも言ったのだろうか?
フランス国鉄は殿様か?
切符を売ってやる、という感覚だろうか?
電車に乗って少しするとLes Noues(レ・ヌー)に停車した。
時刻表を見て、パリではなく郊外に向かっていることに気づき、あわてて次のLouvres(ルーヴル)で降りた。
反対側のホームに渡り、同じチケットを改札機に入れたら、エラーになった。
再度新しいチケットを入れると、今度は改札機が開きホームに入ることができた。
次の上り列車は15分ほどで来た。
パリへ来て初めての電車なので盗難を警戒し、二つのショルダー・バッグはたすきがけにした。
一つはパスポートやお金などの貴重品、もう一つはカメラ機材とノート・パソコンである。
パソコンはホテルに置いていてもいいのだが、セーフティ・ボックスがないので持ち出すことにした。
レセプション・クラークに、預かってくれと頼むと、部屋で大丈夫だと言われたが、このホテルの状況からして信頼できなかった。
乗客はおよそ半数が黒人で、アフリカ系移民が多いらしい。
Goussanville(グーサンビル)駅前では、アフリカ系やアラブ系のような民族衣装を纏った人々が往来していた。
フランスとは多民族国家なのだと今回はじめて知った。
RERは発車のベルはない。
そして降りるときは自分でボタンを押してドアを開けることになっている。
Gare du Nord(ガール・デュ・ノール=北駅)は大きな駅だった。
道を尋ねるとき、これを”ガール・デュ・ノード”と発音するとわかってもらえないようだ。
駅の構内にトイレがあったので行っておいた。
入り口に番台さんがいて料金を徴収する。
1ユーロをわたすと、50サンチーム(セント)のおつりが返ってきた。
こんな大きな駅なのにトイレはここだけのようだった。
キオスクで1.7ユーロの”Evian”(エビアン)を買い、駅の表にでた。
地図に一度目を通して、ガイドブックをバッグにしまった。
おのぼりさん=カモと見られるのを警戒したからだ。
街を歩いているうちに昼になった。
大通りに面したパン屋でサンドイッチを買い、店先のテーブルで持参した”Evian”とともに昼食をとった。
食べながら通りを眺めていると、昼食の時間帯ということもあり、老若男女小脇に抱えたバゲットをつまみ、ペットボトルの水で飲み下しながら歩いている。
ガイドブックには「食事中絶対音を立ててはいけない」と書いてあったが、この行儀の悪さは何なのだろう。
しかし、白人女性は美人が目につく。
フランス人形とはやはり美女の象徴なのかもしれない。
スリムなのに胸は大きく、皆谷間を誇らしげにのぞかせて闊歩している。
あの欧米人特有の、鉛筆にドラム缶を載せたような中年の体型には、どの時点でチェンジするのだろうか?などと、余計なことを考えてしまった。
こちらのサンドイッチは大きく、全部は食べきれなかった。
昼食の後とりあえずノートルダム大聖堂をめざして歩いた。
地図を頭に入れ、南へ南へと歩くが、いっこうに見えてこない。
通りには色とりどりのカフェがずらりと並んでいる。
歩行者は二人に一人ぐらいが歩きタバコで、歩いていると煙からのがれられない。
そして火がついたまま道端に投げ捨てるのが習慣のようだ。
歩道も車道も道はごみだらけだ。
ユニフォーム姿の清掃作業員がずっと掃除しているし、輪っかのスタンドに下げられたごみ袋が道路沿いに設置されているのにちっともきれいにならないのは不思議だ。
衛生観念は、30年ぐらい前の日本のよう。
ちょっとショックだったのは、物乞いをよく見かけたことだ。
日本では、ホームレスはいても、物乞いはほとんど見ることはない。
石畳に正座して、前に紙コップを置き哀しい顔をして何事か訴えている。
紙コップには1ユーロ未満の小銭しか入っていない。
もう北駅に戻ろうか思い始めたころ、やっとセーヌ川に出た。
マリー・アントワネットが投獄されていたという”コンシェルジュリー”を見つけた。
地図を見て、ノートルダム大聖堂はその東側に位置することを確認し、さらに歩いていくと、
ガイドブックの写真と同じものが見えてきた。
さすがに、「おお!」と声を上げたくなるような壮大さがあった。
大聖堂のまわりを公園側から右にまわりこみ、一周して帰路についた。
途中トイレに行きたくなり、あわてて小さなホテルに駆け込んだが、
「Go to cafe!」(カフェに行け!)と冷たく断られた。
適当なカフェに入り、コーヒーを注文してトイレを借りた。
コーヒーを飲んだあと北駅への道を尋ねると、英語のできる客がいてこころよく教えてくれた。
「そこの広い通りをまっすぐ右へ」
笑顔で「メルスィー」と礼を言って店を出た。
その親切が気持ちよかった。
北駅からRERでGoussanville(グーサンビル)に戻り、駅前のBARに入った。
ここならホテルに近いから、ビールを飲んでも大丈夫だ。
カウンターで天井から下げられたテレビを見ながらビールを飲んだ。
よく冷えた生ビールだった。
テレビではサッカーのワールドカップを放送していた。
店は開放的な造りで戸が開け放たれ、中にいてもオープンスペースのような雰囲気だった。
40代くらいの細面で金髪の女性がひとり店の中を外をと忙しく立ち働いていた。
白い薄手のカッター・シャツにジーンズというさっぱりした格好だ。
ビールを2杯飲んだあと、勘定をしておつりの中から50サンチームをチップとして渡すと、
「メルスィー」と素敵な笑顔を見せてくれた。
朝、ホテルを出るとき、枕元に1ユーロのチップを置いていたら、心なしか部屋の中が昨日
よりていねいに掃除されているような気がした。
切れていたバスルームのティッシュもちゃんと補充されていた。
パリの街は北駅前近くの大通りを除いて、ほとんど公衆トイレというものがない。
そのかわりカフェは掃いて捨てるほど通りに並んでいて、トイレに行きたくなったら金を出して
用を足せということのようだ。
しかし、カフェでビールを飲んでいる人たちがいるが、あれだとカフェをハシゴすることになりいつまでたっても家に帰り着けないのではないかと、余計な心配をしてしまう。
それと、<自分のことは自分で責任を持て>という考え方が根底にあるのではないか。
そう考えると、すべてのことがその基準の上に行われているのではないかと思えた。
フランスに来たらフランス語を喋れ。
切符を買うときはちゃんと小銭を用意しろ。(地下鉄=メトロの券売機は紙幣が使えない)
エレベータが使えなかったら他の手段を考えろ。
ホテルでは小銭への両替を用意していないと言われたこと。
トイレも自分の責任だから、公共では用意しない。
発音のせいもあるだろうが、道を尋ねてもほとんど手を横に振って、教えてくれない。
”いちいち他人に頼るな”という考えがあるのだろう。
そうか、「すべて自分の責任で行え」と。
そう考えると、すべてのことが理解できる気がした。
ある意味”大人の国”といえる。
また、”不親切な国”、”冷たい国”、そして”不愉快な国”とも言える。
それにくらべると、日本は手取り足取り、なんて親切な国なのだろうと思ってしまう。
私はパリではトイレ恐怖症になったものだ。
あさって、7月3日土曜日は南仏へ向かうつもりだ。
リヨンあたりで1泊か2泊、プロヴァンスで3泊か4泊、余裕があればバルセロナに2泊か・・・
2010.6.30.wed.2nd
朝、ソウル・ロイヤル・ホテルから仁川空港への送迎バス、行儀の悪い外国人たちが乗り合わせた。
バスの前半分はクワイエット。
後半分はノイズィー。
前半はヨーロッパ人で、後半はアメリカ人だろうと思うのは私の偏見だろうか?
後半分は出発時刻ギリギリになって乗り込んできた。
はじめは私の後部座席のこどもたち。
携帯ゲーム機で遊んでいるらしく、「ピーピー・ガーガー」の騒音をだしほうだい。
親はひとことも注意しない。
つぎは、十代と思われる女の子のグループ。
そのうちのひとりがのぼせあがっているのか、大きな声でしゃべりまくっている。
それにあいづちを打つようにほかのメンバーも大きな声ではしゃいでいる。
しまいには、ロックンロールかなにかを唄いだすしまつだ。
仁川空港に着き、チェックイン・カウンターでボーディング・パスをもらい、搭乗ゲートを確認してビジネス・ラウンジに入った。
飛行機に乗る前にすこし食事をとっておこうと、ビュッフェのパンとスパゲティ、それにワインをとった。
ビジネス・ラウンジははじめてなので、勝手がわからず、お金はどこで払うんだろうかと心配したが、ビジネス・クラスのサービスなのだ。
搭乗して飛行機が動き出すまえに、シャンペンがでた。
航海の成功を祈るという意味があるのだろうか。
13時15分、機体はパリにむけ滑走路へと動きだした。
ランチは、洋食と韓国料理とあったが、珍しいので韓国料理を選んだ。
焼肉とプルコギ。
野菜に材料をのせ、味噌をつけてくるんで食べる。
はじめての食べ物だったが、とてもおいしかった。
ソウル・ロイヤル・ホテルの料理とは格段の差がある。
ランチが終わったのが15時で、ディナーなみのボリュウームがあったので、夕食が17時頃だったらどうしようと思った。
飛行機はウラル山脈を越えてヨーロッパに向かうようだ。
出発地時間16時。
ランチのあと、窓が閉じられ、機内の灯りがおとされた。
なぜか眠気が来て30分間ほど眠っただろうか。
しかし、この機体は、時間をさかのぼって飛んでいるわけで、外は昼間のはずだ。
いま眠っておくことで、時差ボケを収めることになるのだろうか?
16時55分、イルクーツクの上空。
目的地まで、あと7時間45分
現地時刻、9時55分。
出発地時刻、16時55分。
18時。
”深夜特急5”を再読した。
パリまであと6時間35分。
パリからバルセロナへ行きたいという思いがつよい。
仁川空港を発ってから、7時間になろうとしている。
仕事をしていれば、そろそろ帰りの時間を気にしはじめる時刻だ。
決まったルートのない自由な旅。
パリで3日間すごしたあと、南仏にいくか、バルセロナに行くか。
まだ決めかねているが、パリの最終日に決めてもよいことだ。
アテンダントの女性にディナーの時間をたずねると3時間後だというので、ヌードルをたのんだ。
これが意外においしく、チリカップヌードルの本格的なようなもので、よくできている。
この機内で出される食事は、すべて満足のいくものだった。
18時20分(現地時間)、パリ、シャルル・ドゴール空港に到着した。
これがフランスなのか。
機内預けの荷物を受け取るためターン・テーブルにならんだ。
ターン・テーブルと言っても、この空港では斜めになったテーブルなので、荷物は二階からドスンと落ちてくる感じで、やわな荷物は壊れるだろう。
空港からタクシーに乗ろうと乗り場の列にならんだ。
私の順番になり、ステーション・ワゴン型のタクシーが止まって運転手が降りてきた。
太り気味の黒人の男で、何かはっきりしない表情だ。
男に地図を見せ、すぐ近くだと説明するが要領を得ず、首を横に振り気がすすまないそぶりを見せる。
タクシー乗り場の女性スタッフは乗せていけと指示している。
何なのだろう?
運転手は首を振りながら、私と荷物を乗せた。
なんだか、心配しながら乗っていると、地図では5Kmほどしかないのになかなか届かない。
どうも遠回りをしている感じ。
同じところを大回りしているという気がしないでもない。
15分ほど走ってどうにかホテルの前にたどりついたら、運転手は「ここだ」とはっきり言う。
なんだ知っていたのではないか?
料金をたずねると20ユーロだという。
料金メーターは16ユーロを表示している。
そして、首をかしげ道がわからず迷って大変だったというジェスチャーをする。
ああ、あの気がすすまない表情は、こういうことだったのかと思った。
荷物が4ユーロか?
まあいいや、と思い20ユーロ札を手渡し、
「メルスィー」といって見送った。
彼にも家族があり、生活がかかっているのだろう。
パリに着くなり、早々にぼられ、フランスという国は油断ならない国だな、と気を引きしめた。
19時20分、ホテル・メディアン・ロワシー・CDGに到着。
タクシーを見送り、ホテルの入り口に向かうと唖然とした。
石の階段に雑草が生え、煙草の吸殻や紙くずがちらかっている。
なんてところに来たんだろう、まるで廃墟だ。不安が頭をよぎった。
予約したのは三ツ星ホテルのはずだった。
とりあえずフロントに行って確認しよう。
「ボンジョール!」
若い黒人のレセプション・クラークに、ネット予約のプリントアウトを見せて、
「ここか?」と聞くと、
間違いないといった。
部屋はファースト・フロアだった。
鍵をうけとりカートをごろごろころがしながら、1階の廊下を奥に進んでいると、クラークから声がかかった。
エレベータを使えという。
そうだ、こちらではファースト・フロアは2階だった。
部屋に入って見てまたおどろいた。
古いのはかまわないが、掃除はちゃんとやってほしいものだ。
ベッドサイドの電話番号の説明書きはコーヒーか何かの染みで汚れていた。
セーフティ・ボックスもない。
今夜から三日間この部屋で寝るのかと思ったら、暗い気持ちになった。
ホテルは日本から”エクスペディア”でネット予約を入れていたものだ。
フランスの三ツ星とはこの程度なのかと落胆した。
外はまだ明るく、隣のホテルの庭では大人たちが子供を遊ばせている。
飛行機での長旅とタクシー、ホテルのトラブルでつかれた。
今夜はもう寝よう。
22時42分。
<最近読んだ本>
”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー6 アヴィニョン 2011.10.23.sun [フランス、イタリアの旅]
2010.7.4.sun.6th.fine
"HOTEL INNOVA"(ホテル・イノーバ?)。
部屋に入り、荷物を扱いやすい位置に置いて、窓を開け、水まわりの具合を確認した。
古い石造りの建物で、シャワー、トイレはカーテンで仕切られただけだが、一人なので支障はない。
鎧戸を開けると向かいの建物と通りが見える。
向かいの一階は高級目のレストランのようだ。
バックパックからモバイルパソコンをとり出して立ち上げてみた。
すると、"free spot"の信号が入ってきたので接続してみるとインターネットにつながった。
ホテルが無料で無線LANを提供しているらしい。
日本にいる家族とskypeで話をした。
下の娘は仕事の関係で、来週の金・土・日で東京に面接に行くという。
保証人は上の娘になってもらったらしい。
こんな時、親として対応できないことを少し悲しく思った。
町中にスーパー・マーケットを見つけた。
食糧品から雑貨、酒類まで必要なものはすべて揃っている。
レジでは買う商品をベルト・コンベアーに載せて、店員が手元に引き寄せて計算する。
レジの店員は日本と違い、椅子に座って仕事をする。
労働者の待遇はいいのだろう。
トマトとパンとビールそれに洗剤を買った。
買出しからホテルに戻って、レセプションでアルルのフォトフェスティバルのパンフがないかと探していると、おじさんが出てきて買ってきたビールの袋を見て何か言っている。
「持ち込みはだめだ」とでも言っているのだろうか。
そのあと、トワレットがどうのと言い、部屋の鍵を開けさせた。
トイレのフラッシュボタンの押し方で水が流れっぱなしになっていたらしい。
「メルスィー」と言って引きとってもらった。
おじさんも悪い気はしていないようだった。
ただ、持ち込みはひとこと注意しておかないと立場がないという感じだった。
しかし、このホテルにはレストランはなく、ルームサービスもなさそうだったが、日本のビジネスホテル並みの扱いではいけないのだろうか?
明日はアルルに行ってみようか。
行ってから、その先どうするか考えるか。
あと2日ほどここアヴィニヨンでの滞在を延長してもいいし。
スーパーがあるから食料は調達できるし、人は親切なので居心地は悪くない。
同じフランスでもパリとは大違いだ。
夜遅くまで車の排気音やカー・ステレオの騒音、人の大声でのやりとりなど町の喧騒が絶えない。
”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー5パリ 2011.10.16.sun [フランス、イタリアの旅]
2010.7.3.sat.rainy
朝6時に起き、朝食をとったあと、荷造りをした。旅なれてきて、ずいぶんパッキングが
うまくできるようになった。
朝食は、ハムとチーズが変な味で食がすすまなかった。
チーズと玉子焼きを残した。
昨夜は、ハイネケン500mlを2本と350mlを1本、それにホテル近くのKFC(ケンタッキー・フライド・チキン)で買った"Twisuter"を食べた。
昼食はというか、もう2時を過ぎていたが、ビール2杯とシーザーサラダだった。
サラダは三分の一ほど残した。
炎天下の街歩きで疲れていたのだろう。食事がすすまなかった。
昨夜の就寝は早めにしてぐっすり眠った。
今日は、パリ・リヨン駅からTGVに乗りアヴィニョンへ向かう。
切符は昨日買っているので安心だ。
リヨン駅を下見しておいて本当によかった。
いきなり行ってたら駅の入り口がわからず迷い、切符もちゃんと買えたかどうか・・・
小雨降る中ホテルを出て傘をさし、カートをゴロゴロ引きながらGoussanville(グーサンビル)駅まで歩いた。
RERに乗り、パリ・リヨン駅に向かった。
RERにも慣れたと思っていたら、つい油断して一駅乗り過ごしてしまった。
一駅戻って、パリ・リヨン駅構内の電光掲示板の前で待っことにした。
南フランス方面の列車は、この駅から出ている。
列車の乗り場"Voie"は発車間際にならないと決まらないらしい。
航空機の管制官みたいなのがいて、列車の運行を采配しているのだろうか。
13時15分発のTGVに乗り込んだ。
車内はヴァカンスを南フランスで過ごそうとする人々で一杯だ。
パリ・リヨン駅を出て30分もすると列車の両側に広大な農地が視界に入ってくる。
フランスは農業国なのだとあらためて思う。
EU(欧州連合)の中では最大らしい。
窓から写真を撮ろうとするが、電車なので電柱が一定間隔で入ってきて邪魔をする。
まるく小高い丘陵に古い石造りの農家。丘の上の教会。
野菜、オリーブ、葡萄などの畑。
なだらかな牧草地。
いつか旅行雑誌の写真で見たことのあるような風景がつづく。
パリ・リヨン駅からいくつかの大きなダンボール箱とボストンバッグそれにヘルメットを積んで乗りこんできた若者が、「アヴィニヨンに着いたぞ!」(と言ったのだろう)と奇声を上げたので、
彼に「アヴィニヨンか?」と確認すると、
嬉しそうに「そうだ」(と言ったのだろう)と首を縦に振った。
パリから2時間41分。
列車を降りたとたん目がくらむような白熱の日差しに晒された。
炎天下のアヴィニヨンTGV駅は何にもないところだった。
まずは、ホテルを探さねばならない。
iの標識に従って駅裏の方にカートをゴロゴロ引いて歩いて行ったがiが見つからない。
レンタカーのオフィスに入ってみたが、ホテルの情報はない。
駅表のバス停からアヴィニヨン中心街に行くバスがあったのでとりあえず乗ることにした。
15分ほどでアヴィニヨン・ポスティエに到着した。
そこは、城壁に囲まれた公営団地のような印象の外観で、バスは入場門から中に入りターミナルで停車した。
バス停にいたおじさんにホテルの方角を聞くと、「あっち」と教えてくれた。
教えられた方向に城門を出て歩いて行くと、たしかにグランドホテルがあった。
しかし私には予算的に泊まれるところではなかった。
iの標識が見えたのでその方向に歩き、またポスティエに戻った。
そして、さらに町の奥の方に入って行った。
片側一車線の道がまっすぐはしり、その両側に広い歩道が続いている。
歩道には10メートルはゆうに超える大きなプラタナスの並木が続き、暑い日差しを遮ってくれる。
祭りがあっているらしくにぎやかで、色とりどりのポスターが貼りめぐらされ、カフェの前のテーブルではたくさんの人々が、ビールを飲んだり、おしゃべりをしたりしてくつろいでいた。
バックパックにカートを引いて町の中心部に向かって歩くと、珍しいものを見るように視線があつまる。
iを探すが見つからない。
ホテルはいくつもある。
フランスではホテルの入り口に宿泊料金が掲示してあるので分かりやすい。
”Hotel Danieli”(ホテル・ダニエリ?)という古い石造りのホテルに入ってみた。
40歳くらいの大柄な金髪の女性が、レセプションで他の客とやりとりをしていた。
横でパンフレットなどを見ながら待っていると、私に用は何かと問いかけてきた。
料金を聞くと一泊60ユーロという。
6万円?と思って「ノー」と断り、いったん外に出たが、6000円の勘違いだと気が付き、引き返して一晩泊まることにした。
空き部屋は一室だけだった。
内装は新しいが狭くいびつな形で、高い窓から見えるものは石の壁と空それに空調機だけ。
まるで刑務所の独房のような印象だ。
シャワーはついているがトイレは室外の共同で、トイレには手洗いがなかった。
フランス人の衛生感覚がよくわからない。
ホテルに荷物を置いて、散策に出た。身が軽かった。
カフェでビールと白身魚のムニエル風の夕食をとり、この旅で初めてゆったりとした時間を過ごした。
食事のあと、街を散策しながらホテルの料金を見てまわることにした。
"HOTEL INNOVA"(ホテル・イノーバ?)トイレ、シャワーつきで58ユーロ。
ガラスのはめ込まれたドアを開け、正面の階段を昇るとレセプションがあった。
レセプションのおじさんは英語が分からず、彼は電話で分かるスタッフを呼び出し、私は彼女と話をした。
2泊予約し、明日の朝来るからと告げて電話を切った。
”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー4 パリ 2011.10.14.fri [フランス、イタリアの旅]
2010.7.2.fri
明日、南フランスのアヴィニョンへ向かうことにした。
アヴィニヨンへの列車はパリ・リヨン駅から出る。
当日になって慌てなくていいように、駅を下見して切符を買っておくことにした。
Goussanville(グーサンビル)からRERに乗り、Gare du Nord(ガール・デュ・ノール=北駅)を過ぎて二つ目の駅だ。
大きな駅で、地下にあるRERのホームで降りて、バスの発着所への案内をたよりに外に出たが、駅の正面玄関がわからない。
結局見当違いのブロックを一周して、やっと入り口にたどりついた。
やはり今日来てみてよかったのだ。
もう、とっくにお昼を過ぎていたので、とりあえず昼食をとることにした。
駅構内にある大きなカフェに入った。
しかし、カフェのウエイトレスは最悪だった。
なぜあんな態度をするのか、分からなかったが、日本人が嫌いなのか、あるいは中国人と見られての偏見だったのかと今にして思っている。
白人のウェイトレスにアウトサイドの席を希望すると、眉間に皺をよせしぶしぶ案内するのだ。
テーブルに着きビールを注文すると、黒人のウェイトレスはやはり汚いものでも見るように眉間に皺をよせ、後の注文も聞かずにさっさと奥にさがってビールを持ってきた。
そして、シーザー・サラダを注文すると迷惑そうな顔をしてまた奥に入って行った。
何が嫌なのか分からないが、白人の客には笑顔で接している。
「One more beer」ともう1杯注文すると、
「Can you sperk engrish?」と怒ってまた眉間に皺をよせ、わざとのように生ぬるいビールを出してきた。
勘定を済ませて地下のトイレに入ると、やはり番台のおばさんが嫌な顔をしている。
どうも、この店は日本人嫌いで統一されているようだ。
ところが、i(ツーリズム・オフィス)と切符売り場の女性は笑顔でとても親切にしてくれた。
iでTGV(高速列車)のタイムテーブルをもらい、乗りたい列車に印をつけて切符売り場に行くとSNCF(フランス国鉄)の若い黒人女性スタッフがむこうから問いかけてきた。
明日のTGVに乗りたい旨を伝えると、自動券売機を案内してくれ、親切にも操作方法まで教えてくれたのだ。
こんなに嬉しい思いはなかった。心から「メルスィー」を言った。
なぜあのカフェはあんなにひどかったのだろう。
Goussanville(グーサンビル)にもどり、駅前の雑貨屋でビールを買った。
そして夕食にと、ホテルの近くの”ケンタッキー・フライド・チキン”で"Twister"というカバブのようなもののセットを買った。
シャワーを浴びて食事にしたが、疲れのせいか半分しか食べられなかった。
”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー3 パリ 2011.10.13.thu [フランス、イタリアの旅]
2010.7.1.thu
モーニングは6時から10時と聞いていた。
朝6時に起き、7時過ぎにモーニングをとろうとエレベータにいくと、電源が切られていた。
部屋の電話から直通#9でレセプション(reception)を呼んだら眠そうな女性の声で、
「10時からにしてくれ」と言う。
エレベータのことを説明しようとすると、
「What time is it!(今何時だと思ってんのよ!)」と怒鳴られたうえ電話を切きられた。
しかたなく、1時間ほど暇をつぶしていたが、廊下を歩いていてふと窓から下を見ると、玄関前のテラスに人がいる。
彼女は東洋系の長い髪で、テラスに並べられた白い丸テーブルの椅子に腰掛けパンをつまんでいた。
二階から呼びかけ、事情を言って、レセプションに誰かいるか見てもらおうとしたら、
「階段があるはずですよー」と言う。日本人だった。
廊下の突き当たりにある非常出口には、鍵がかかっていたので、
「非常階段は鍵がかかっているんですよ」といってみて、他に階段があるのかもしれないと思い、
「探してみます」といって引っ込んだ。
探したら、エレベータのとなりのドアから1階に下りる階段があった。
こんなことで1時間も暇をつぶしていた自分が可笑しかったが、ドアにはそんな表示はないし、フランスとはなんて不親切な国なんだと思った。
このとき、この国の外来者への対応を予感した気がした。
1階に降り、テラスの女性に礼をのべ(彼女は携帯電話で誰かと話をしていたが)、レセプション・クラークに「エレベータが動かない」と言うと、
「ホール!」という返事が事もなげに返ってきた。
点検中ということだろう。
浅黒く、髪の縮れた坊主頭の男はゆったりした物腰でこちらを覗い、ホテルとして設備の不具合を詫びる様子はいっこうにない。
2階のエレベータに”点検中”の表示でもあれば何でもないことなのに、エレベータが動かなければ階段を使うのが当然だろう、という態度だった。
それにしても、あの”#9レセプション”はいったいどこに繋がったのだろうか。
モーニングをとったあと、昨日レセプションの若いクラークに教えてもらったRER(高速郊外鉄道)の駅Goussanville(グーサンビル)にむかった。
「ホテルを出てレフト、ブリッジをくぐる、レフト」という案内は正しかった。
駅前には紙くずや空き缶がちらかり、西部劇の荒れ果てた町の情景と重なった。
窓口に並び、10枚セットのカルネを買った。
RERにはパリから郊外にはなれるにしたがって、ゾーン1からゾーン5まで料金エリアがあり、ここGoussanville(グーサンビル)はゾーン5で35ユーロだった。
窓口の太ったおばさんは私が英語で話すのが気に入らないらしく、不機嫌な表情で、さらに小銭を持ち合わせていなかったので、大きな声で何かまくしたてた。
「ちゃんと小銭を用意しとかなきゃだめじゃないの!」とでも言ったのだろうか?
フランス国鉄は殿様か?
切符を売ってやる、という感覚だろうか?
電車に乗って少しするとLes Noues(レ・ヌー)に停車した。
時刻表を見て、パリではなく郊外に向かっていることに気づき、あわてて次のLouvres(ルーヴル)で降りた。
反対側のホームに渡り、同じチケットを改札機に入れたら、エラーになった。
再度新しいチケットを入れると、今度は改札機が開きホームに入ることができた。
次の上り列車は15分ほどで来た。
パリへ来て初めての電車なので盗難を警戒し、二つのショルダー・バッグはたすきがけにした。
一つはパスポートやお金などの貴重品、もう一つはカメラ機材とノート・パソコンである。
パソコンはホテルに置いていてもいいのだが、セーフティ・ボックスがないので持ち出すことにした。
レセプション・クラークに、預かってくれと頼むと、部屋で大丈夫だと言われたが、このホテルの状況からして信頼できなかった。
乗客はおよそ半数が黒人で、アフリカ系移民が多いらしい。
Goussanville(グーサンビル)駅前では、アフリカ系やアラブ系のような民族衣装を纏った人々が往来していた。
フランスとは多民族国家なのだと今回はじめて知った。
RERは発車のベルはない。
そして降りるときは自分でボタンを押してドアを開けることになっている。
Gare du Nord(ガール・デュ・ノール=北駅)は大きな駅だった。
道を尋ねるとき、これを”ガール・デュ・ノード”と発音するとわかってもらえないようだ。
駅の構内にトイレがあったので行っておいた。
入り口に番台さんがいて料金を徴収する。
1ユーロをわたすと、50サンチーム(セント)のおつりが返ってきた。
こんな大きな駅なのにトイレはここだけのようだった。
キオスクで1.7ユーロの”Evian”(エビアン)を買い、駅の表にでた。
地図に一度目を通して、ガイドブックをバッグにしまった。
おのぼりさん=カモと見られるのを警戒したからだ。
街を歩いているうちに昼になった。
大通りに面したパン屋でサンドイッチを買い、店先のテーブルで持参した”Evian”とともに昼食をとった。
食べながら通りを眺めていると、昼食の時間帯ということもあり、老若男女小脇に抱えたバゲットをつまみ、ペットボトルの水で飲み下しながら歩いている。
ガイドブックには「食事中絶対音を立ててはいけない」と書いてあったが、この行儀の悪さは何なのだろう。
しかし、白人女性は美人が目につく。
フランス人形とはやはり美女の象徴なのかもしれない。
スリムなのに胸は大きく、皆谷間を誇らしげにのぞかせて闊歩している。
あの欧米人特有の、鉛筆にドラム缶を載せたような中年の体型には、どの時点でチェンジするのだろうか?などと、余計なことを考えてしまった。
こちらのサンドイッチは大きく、全部は食べきれなかった。
昼食の後とりあえずノートルダム大聖堂をめざして歩いた。
地図を頭に入れ、南へ南へと歩くが、いっこうに見えてこない。
通りには色とりどりのカフェがずらりと並んでいる。
歩行者は二人に一人ぐらいが歩きタバコで、歩いていると煙からのがれられない。
そして火がついたまま道端に投げ捨てるのが習慣のようだ。
歩道も車道も道はごみだらけだ。
ユニフォーム姿の清掃作業員がずっと掃除しているし、輪っかのスタンドに下げられたごみ袋が道路沿いに設置されているのにちっともきれいにならないのは不思議だ。
衛生観念は、30年ぐらい前の日本のよう。
ちょっとショックだったのは、物乞いをよく見かけたことだ。
日本では、ホームレスはいても、物乞いはほとんど見ることはない。
石畳に正座して、前に紙コップを置き哀しい顔をして何事か訴えている。
紙コップには1ユーロ未満の小銭しか入っていない。
もう北駅に戻ろうか思い始めたころ、やっとセーヌ川に出た。
マリー・アントワネットが投獄されていたという”コンシェルジュリー”を見つけた。
地図を見て、ノートルダム大聖堂はその東側に位置することを確認し、さらに歩いていくと、
ガイドブックの写真と同じものが見えてきた。
さすがに、「おお!」と声を上げたくなるような壮大さがあった。
大聖堂のまわりを公園側から右にまわりこみ、一周して帰路についた。
途中トイレに行きたくなり、あわてて小さなホテルに駆け込んだが、
「Go to cafe!」(カフェに行け!)と冷たく断られた。
適当なカフェに入り、コーヒーを注文してトイレを借りた。
コーヒーを飲んだあと北駅への道を尋ねると、英語のできる客がいてこころよく教えてくれた。
「そこの広い通りをまっすぐ右へ」
笑顔で「メルスィー」と礼を言って店を出た。
その親切が気持ちよかった。
北駅からRERでGoussanville(グーサンビル)に戻り、駅前のBARに入った。
ここならホテルに近いから、ビールを飲んでも大丈夫だ。
カウンターで天井から下げられたテレビを見ながらビールを飲んだ。
よく冷えた生ビールだった。
テレビではサッカーのワールドカップを放送していた。
店は開放的な造りで戸が開け放たれ、中にいてもオープンスペースのような雰囲気だった。
40代くらいの細面で金髪の女性がひとり店の中を外をと忙しく立ち働いていた。
白い薄手のカッター・シャツにジーンズというさっぱりした格好だ。
ビールを2杯飲んだあと、勘定をしておつりの中から50サンチームをチップとして渡すと、
「メルスィー」と素敵な笑顔を見せてくれた。
朝、ホテルを出るとき、枕元に1ユーロのチップを置いていたら、心なしか部屋の中が昨日
よりていねいに掃除されているような気がした。
切れていたバスルームのティッシュもちゃんと補充されていた。
パリの街は北駅前近くの大通りを除いて、ほとんど公衆トイレというものがない。
そのかわりカフェは掃いて捨てるほど通りに並んでいて、トイレに行きたくなったら金を出して
用を足せということのようだ。
しかし、カフェでビールを飲んでいる人たちがいるが、あれだとカフェをハシゴすることになりいつまでたっても家に帰り着けないのではないかと、余計な心配をしてしまう。
それと、<自分のことは自分で責任を持て>という考え方が根底にあるのではないか。
そう考えると、すべてのことがその基準の上に行われているのではないかと思えた。
フランスに来たらフランス語を喋れ。
切符を買うときはちゃんと小銭を用意しろ。(地下鉄=メトロの券売機は紙幣が使えない)
エレベータが使えなかったら他の手段を考えろ。
ホテルでは小銭への両替を用意していないと言われたこと。
トイレも自分の責任だから、公共では用意しない。
発音のせいもあるだろうが、道を尋ねてもほとんど手を横に振って、教えてくれない。
”いちいち他人に頼るな”という考えがあるのだろう。
そうか、「すべて自分の責任で行え」と。
そう考えると、すべてのことが理解できる気がした。
ある意味”大人の国”といえる。
また、”不親切な国”、”冷たい国”、そして”不愉快な国”とも言える。
それにくらべると、日本は手取り足取り、なんて親切な国なのだろうと思ってしまう。
私はパリではトイレ恐怖症になったものだ。
あさって、7月3日土曜日は南仏へ向かうつもりだ。
リヨンあたりで1泊か2泊、プロヴァンスで3泊か4泊、余裕があればバルセロナに2泊か・・・
”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー2 パリ 2011.10.12wed [フランス、イタリアの旅]
2010.6.30.wed.2nd
朝、ソウル・ロイヤル・ホテルから仁川空港への送迎バス、行儀の悪い外国人たちが乗り合わせた。
バスの前半分はクワイエット。
後半分はノイズィー。
前半はヨーロッパ人で、後半はアメリカ人だろうと思うのは私の偏見だろうか?
後半分は出発時刻ギリギリになって乗り込んできた。
はじめは私の後部座席のこどもたち。
携帯ゲーム機で遊んでいるらしく、「ピーピー・ガーガー」の騒音をだしほうだい。
親はひとことも注意しない。
つぎは、十代と思われる女の子のグループ。
そのうちのひとりがのぼせあがっているのか、大きな声でしゃべりまくっている。
それにあいづちを打つようにほかのメンバーも大きな声ではしゃいでいる。
しまいには、ロックンロールかなにかを唄いだすしまつだ。
仁川空港に着き、チェックイン・カウンターでボーディング・パスをもらい、搭乗ゲートを確認してビジネス・ラウンジに入った。
飛行機に乗る前にすこし食事をとっておこうと、ビュッフェのパンとスパゲティ、それにワインをとった。
ビジネス・ラウンジははじめてなので、勝手がわからず、お金はどこで払うんだろうかと心配したが、ビジネス・クラスのサービスなのだ。
搭乗して飛行機が動き出すまえに、シャンペンがでた。
航海の成功を祈るという意味があるのだろうか。
13時15分、機体はパリにむけ滑走路へと動きだした。
ランチは、洋食と韓国料理とあったが、珍しいので韓国料理を選んだ。
焼肉とプルコギ。
野菜に材料をのせ、味噌をつけてくるんで食べる。
はじめての食べ物だったが、とてもおいしかった。
ソウル・ロイヤル・ホテルの料理とは格段の差がある。
ランチが終わったのが15時で、ディナーなみのボリュウームがあったので、夕食が17時頃だったらどうしようと思った。
飛行機はウラル山脈を越えてヨーロッパに向かうようだ。
出発地時間16時。
ランチのあと、窓が閉じられ、機内の灯りがおとされた。
なぜか眠気が来て30分間ほど眠っただろうか。
しかし、この機体は、時間をさかのぼって飛んでいるわけで、外は昼間のはずだ。
いま眠っておくことで、時差ボケを収めることになるのだろうか?
16時55分、イルクーツクの上空。
目的地まで、あと7時間45分
現地時刻、9時55分。
出発地時刻、16時55分。
18時。
”深夜特急5”を再読した。
パリまであと6時間35分。
パリからバルセロナへ行きたいという思いがつよい。
仁川空港を発ってから、7時間になろうとしている。
仕事をしていれば、そろそろ帰りの時間を気にしはじめる時刻だ。
決まったルートのない自由な旅。
パリで3日間すごしたあと、南仏にいくか、バルセロナに行くか。
まだ決めかねているが、パリの最終日に決めてもよいことだ。
アテンダントの女性にディナーの時間をたずねると3時間後だというので、ヌードルをたのんだ。
これが意外においしく、チリカップヌードルの本格的なようなもので、よくできている。
この機内で出される食事は、すべて満足のいくものだった。
18時20分(現地時間)、パリ、シャルル・ドゴール空港に到着した。
これがフランスなのか。
機内預けの荷物を受け取るためターン・テーブルにならんだ。
ターン・テーブルと言っても、この空港では斜めになったテーブルなので、荷物は二階からドスンと落ちてくる感じで、やわな荷物は壊れるだろう。
空港からタクシーに乗ろうと乗り場の列にならんだ。
私の順番になり、ステーション・ワゴン型のタクシーが止まって運転手が降りてきた。
太り気味の黒人の男で、何かはっきりしない表情だ。
男に地図を見せ、すぐ近くだと説明するが要領を得ず、首を横に振り気がすすまないそぶりを見せる。
タクシー乗り場の女性スタッフは乗せていけと指示している。
何なのだろう?
運転手は首を振りながら、私と荷物を乗せた。
なんだか、心配しながら乗っていると、地図では5Kmほどしかないのになかなか届かない。
どうも遠回りをしている感じ。
同じところを大回りしているという気がしないでもない。
15分ほど走ってどうにかホテルの前にたどりついたら、運転手は「ここだ」とはっきり言う。
なんだ知っていたのではないか?
料金をたずねると20ユーロだという。
料金メーターは16ユーロを表示している。
そして、首をかしげ道がわからず迷って大変だったというジェスチャーをする。
ああ、あの気がすすまない表情は、こういうことだったのかと思った。
荷物が4ユーロか?
まあいいや、と思い20ユーロ札を手渡し、
「メルスィー」といって見送った。
彼にも家族があり、生活がかかっているのだろう。
パリに着くなり、早々にぼられ、フランスという国は油断ならない国だな、と気を引きしめた。
19時20分、ホテル・メディアン・ロワシー・CDGに到着。
タクシーを見送り、ホテルの入り口に向かうと唖然とした。
石の階段に雑草が生え、煙草の吸殻や紙くずがちらかっている。
なんてところに来たんだろう、まるで廃墟だ。不安が頭をよぎった。
予約したのは三ツ星ホテルのはずだった。
とりあえずフロントに行って確認しよう。
「ボンジョール!」
若い黒人のレセプション・クラークに、ネット予約のプリントアウトを見せて、
「ここか?」と聞くと、
間違いないといった。
部屋はファースト・フロアだった。
鍵をうけとりカートをごろごろころがしながら、1階の廊下を奥に進んでいると、クラークから声がかかった。
エレベータを使えという。
そうだ、こちらではファースト・フロアは2階だった。
部屋に入って見てまたおどろいた。
古いのはかまわないが、掃除はちゃんとやってほしいものだ。
ベッドサイドの電話番号の説明書きはコーヒーか何かの染みで汚れていた。
セーフティ・ボックスもない。
今夜から三日間この部屋で寝るのかと思ったら、暗い気持ちになった。
ホテルは日本から”エクスペディア”でネット予約を入れていたものだ。
フランスの三ツ星とはこの程度なのかと落胆した。
外はまだ明るく、隣のホテルの庭では大人たちが子供を遊ばせている。
飛行機での長旅とタクシー、ホテルのトラブルでつかれた。
今夜はもう寝よう。
22時42分。
<最近読んだ本>
撮影テクニック百科―写真表現の基礎をおぼえる (日本カメラMOOK)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 日本カメラ社
- 発売日: 2011/09/08
- メディア: 大型本
”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー1 仁川 2011.10.10.mon [フランス、イタリアの旅]
今回から、昨年のフランス、イタリア旅行記を掲載します。
2010.6.29.tue
福岡空港18時10分発アシアナ航空OZ133便。
仁川空港には19時10分に到着の予定だ。
アシアナ航空の場合、福岡からパリへの直行便はなく、ソウルの仁川で乗り継ぎとなる。
当日乗り継ぎ便がない場合は、STPCサービスといって航空会社が無料でホテルを用意してくれる。
しかし、いったん空港の外に出ることになるので、入国、出国の手続きが必要となる。
仁川国際空港は2001年の開港で、まだ見た目には新しく清潔だった。
この空港は韓国や中国の航空会社がハブ空港として利用している。
入国審査後、旅行会社の案内書をたよりにアシアナ航空のカウンターを探したが、看取り図に方角が示されていないため、反対側の端っこまで歩いて、また戻ってくるはめになってしまった。
空港ロビーには、肩に短機関銃を吊るしたポリスが巡回していた。
さすがに北朝鮮と対峙する、”戦時”の国だと思った。
カウンターにたどりつくとアシアナのスタッフが私を探していたらしく、ほっとした表情を見せた。
ホテルへむかうバスにはもうみんな乗りこんでいて、私が最後だった。
夜景を眺めながら、バスは暗くなった夜の道を走る。
ホテルに着いたのは21時10分だった。
シャワーを浴びた後レストランにむかった。
ソウル・ロイヤル・ホテルでは簡単な夕食が用意されていたが、とてもおいしいといえる代物ではなかった。
韓国ではお金を遣うつもりがなかったので韓国ウォンを用意していず、夕食の生ビールを飲んだ支払いは明日のチェックアウト時にすることにした。
ホテルのレセプションでレートを調べたら、10000円が120000ウオンで100円が1200ウオン。
ウォンの0をひとつ取ればおおよその円の額がわかった。
したがって、今夜のビール8800ウォンは800円くらいということか。
高いなあ。
一応、空港内ではアメリカドルは遣えると思って持ってきていたのでそれで支払うことにした。
翌朝チェックアウト時にUSドルに換算してもらうと、7ドル58セント。
コインを並べると、レセプションのスタッフはどのコインがいくらなのか分からなかったらしく、とまどって苦笑いをしていた。
<最近読んだ本>
<最近観た映画>
2010.6.29.tue
福岡空港18時10分発アシアナ航空OZ133便。
仁川空港には19時10分に到着の予定だ。
アシアナ航空の場合、福岡からパリへの直行便はなく、ソウルの仁川で乗り継ぎとなる。
当日乗り継ぎ便がない場合は、STPCサービスといって航空会社が無料でホテルを用意してくれる。
しかし、いったん空港の外に出ることになるので、入国、出国の手続きが必要となる。
仁川国際空港は2001年の開港で、まだ見た目には新しく清潔だった。
この空港は韓国や中国の航空会社がハブ空港として利用している。
入国審査後、旅行会社の案内書をたよりにアシアナ航空のカウンターを探したが、看取り図に方角が示されていないため、反対側の端っこまで歩いて、また戻ってくるはめになってしまった。
空港ロビーには、肩に短機関銃を吊るしたポリスが巡回していた。
さすがに北朝鮮と対峙する、”戦時”の国だと思った。
カウンターにたどりつくとアシアナのスタッフが私を探していたらしく、ほっとした表情を見せた。
ホテルへむかうバスにはもうみんな乗りこんでいて、私が最後だった。
夜景を眺めながら、バスは暗くなった夜の道を走る。
ホテルに着いたのは21時10分だった。
シャワーを浴びた後レストランにむかった。
ソウル・ロイヤル・ホテルでは簡単な夕食が用意されていたが、とてもおいしいといえる代物ではなかった。
韓国ではお金を遣うつもりがなかったので韓国ウォンを用意していず、夕食の生ビールを飲んだ支払いは明日のチェックアウト時にすることにした。
ホテルのレセプションでレートを調べたら、10000円が120000ウオンで100円が1200ウオン。
ウォンの0をひとつ取ればおおよその円の額がわかった。
したがって、今夜のビール8800ウォンは800円くらいということか。
高いなあ。
一応、空港内ではアメリカドルは遣えると思って持ってきていたのでそれで支払うことにした。
翌朝チェックアウト時にUSドルに換算してもらうと、7ドル58セント。
コインを並べると、レセプションのスタッフはどのコインがいくらなのか分からなかったらしく、とまどって苦笑いをしていた。
<最近読んだ本>
<最近観た映画>
ツリー・オブ・ライフ(ブラッド・ピット、ショーン・ペン出演) [DVD]
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