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”ここは楽園 T's Island Photo Gallery” はこちらです
<撮影使用機材> ボディ:CANON EOS 5D Mark II  レンズ:EF70-200mm F2.8L IS II USM、EF24-70mm F4L IS USM、EXTENDER EF2×III  三脚:HUSKY ハスキー3段 #1003
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中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー26  帰国 [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.24.sat.26th

パリから到着して、乗り換え時間が50分間だったので少しあせっていたが、十分間に合った。
仁川発福岡行きOZ134便は、機材到着の遅れから15分遅れで飛び立った。
アシアナはいい。
アテンダントがやさしくて親切だ。
中国とかフランスとかイタリアのに乗ったら酷いもんだろうと思う。
それが、想像できる。
雲海の上に、大きな白い積乱雲がきのこの形をしてうかんでいる。
これで、どうにか日本に帰れる。
これまでの26日間の移動を思うと、こうして無事に帰国できるのが不思議な気がする。
あのパリに着いた最初の夜の不安。
ゴルドの夜のヒッチハイク。
何があってもおかしくはなかった。
いろんな人々との出会いや出来事。
今でも顔を思い出す。
これは、私にとって生涯心に残る旅となった。

感謝・合掌
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中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー25  パリ② [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.23.fri.25th

パリ最後の日、ホテルをチェックアウトしたあとレセプションに荷物を預け、パリ・リヨン駅からメトロに乗った。
RERのカルネが残っていたのでそれを使うことにした。
シャルル・ドゴール・エトワール駅で降り、凱旋門を撮影した。
凱旋門はくぐるものだと思っていたが、その周りには柵があり中には入れない。
5つの方角から道路が凱旋門にぶつかり、門を中心として信号機のないロータリーが形成され、洪水のような車の群が入り乱れるように往きかっていた。
何でもないのだがいちおうシャンゼリゼ大通りを撮り、イエナ大通りを南に歩いてエッフェル塔に向かった。
凱旋門もエッフェル塔もやはり実際にこの目で見るべきもので、来て見てよかった。
FIXのツアーで名所めぐりをするのを半ば馬鹿にしていたが、それもまたいいものだと思う。
ただしスケジュールに追いまくられてゆっくり観たり撮影したりができないというのも困るが・・・。
ゴルドやモンサンミッシェルなど交通の便があまりよくない所は、はじめからパッケージ・ツアーで行くか、現地のツアーに参加するしかない。
エッフェル塔の前の広場には観光客があふれ、また、塔に昇るエレベータを待つ行列が、長々とつづいていた。
広場には機関銃を肩にかけ、ベレーを冠った警察官が警戒にあたっていた。
ためしに、
「フォト OK?」と聞くと、
その黒人の警察官は、警戒をとかぬまま、
「OK」と言った。
塔の下をくぐり、大きな公園を抜けて大通りに出た。
トイレに行きたかったので、交差点にあるカフェに入りエスプレッソを注文した。
メトロでホテルに戻り、預けていた荷物を受け取って、パリ・リヨン駅からRERでシャルル・ドゴール空港へむかった。

2110 Seoul Inchon oz 502 Chech in holl 3
Ontime Alhore Boarding 10-18
シャルル・ドゴール空港に着いたのが13時30分。
ホールに入れるのは18時だという。
インフォメーション・カウンターの太った黒人の女の子に
「What i do?」
「Dou you date with me?」
と言ってみたら、ハエを追うように笑って手で払われた。
4時間何をするか?
とりあえずハイネケンを買って椅子に腰をおろした。
ハイネケン4.5ユーロ。
今日、スーパーで見た値段は1.2ユーロ。
なんという暴利だろう。
今朝からトントンと事が運んで、もう空港に来ている。何かに乗せられている気分だ。
何の疑問も滞りもなく帰国を迎えている。
早めに空港に来たのは、オーバーブッキングになっていた場合の対応を考えていたからだ。
6月29日に福岡空港を出るときに、アシアナ航空のチェックインカウンターで、リコンファームが必要かどうか確認したら、不要ということだったが、もしもの場合を考えて対応のための時間をつくったつもりだった。
時間まで、ノートにメモしてきた旅の記録をパソコンでテキストにすることにした。
ビールを飲み、パソコンを打ち、SKYPEで日本の友人と会話をした。
そうしているといつのまにか4時間が経っていた。
18時になり緊張しながらアシアナ航空のカウンターでチェックインしてみると何の支障もなく手続きが済み、あっけにとられたものだ。
「Have a nice trip!」金髪美人の女性スタッフに笑顔で送り出された。
荷物を預け、
「メルスィー」と礼を言った。
ビジネスクラスのラウンジを使えるチケットをもらっていたが、何故か落ち着かず、早くセキュリティチェックを終えたかったので搭乗ゲートに入ったため、使わずじまいだった。

21時20分。
アシアナ航空OZ502便はシャルル・ドゴール空港を離陸した。
ちょうど日が沈む時間帯で、少し薄暗いが、飛び立ってからも水平線上に太陽が赤く顔をだしたままだ。
グレーの雲海のむこうを赤から朱そして黄のグラデーションに染め上げている。
この旅も、明日で終わりを迎える。
「ヨイタビデシタカ?」フライト・アテンダントの男性から聞かれ、
「ありがとうございます」と答えた。
良い旅だったのだ。
こんな充実した旅は、私の人生の中ではじめてのことではないか?
これほどの長い旅は経験したことがなかった。
26日間!?とんでもない。
海外は、ハワイにはじまり、フィジー、モルディブ、パラオ、サイパン、バリ。
仕事をしていて長い休みが取れなかったので、どれも1週間程度だった。
現地に3日間から5日間滞在するのが精いっぱいだった。
国内では、青森、秋田、山形。山陰から越前への車の旅。
沖縄、石垣島、宮古島、西表島。
はたちの時に友人を訪ねて行った沖縄の旅がいちばん長かったかな。
どれも、いい旅だった。
しかし、家にいるときがいちばんいいのかもしれない。
近くの山や川に、車で写真を撮りに行く。
それこそ、ショート・ショート・トリップだが、楽しい。
何の心配もなく、自分の好きなものがたべられて、家に帰ればビールが冷えていて。
こんなにいい旅はないのかもしれない。
ショート・ショート・トリップこそが、いちばんいい旅なのかもしれない。
いつしか雲海は墨をながしたような色になり、夕焼けを赤黒くかえてしまった。
日はもう沈みきった。
いい人たち、優しい人たちにたくさんであった。
パリ・リヨン駅の切符売り場で券売機の操作を教えてくれた、細身の黒人の女の子。
アヴィニヨンのホテル”ニコラ”のレセプションで親切にしてくれた、金髪で大柄な白人の女性。
ホテル”イノーバ”のやさしい子持ちの黒人女性。
アルルの”ホテル・ド・パリ”の偏見のない白人のおばさん。
赤黒い空が、今は濃いブルーになっている。
カヴァイヨンのホテル”トッペン”の腕にタトゥをいれた白人の支配人。
ゴルドからのからの帰り、ヒッチハイクしたときに救ってくれたドワンナ。
マルセイユ駅でTERの切符をTGVの切符に変更してくれた窓口の女性。うれしくて握手までしたっけ。
イタリアへの国境の越え方をおしえてくれた、ニース・ビル駅窓口の白人女性。
ニースのホテル”ノルマンディー”のレセプションの白人のにいちゃん。
国境の駅”ベンチミグリア”で”ジェノバ”までの切符を買ったときの窓口の女性。
ジェノバのホテル”ブリグノール”のレセプションの誠実そうな白人のおじさん。
ローマのホテル”カリフォルニア”のマフィアのような支配人のおやじ。ちょっとインチキだったけどな。
ローマからバーリに向かうESでオーバー・ブッキングになっていて、席をゆずり合った人たち。 
バーリのiの愛想のいいおねえさん、一緒にいた友達らしい可愛いおねえさん。
3時ごろ店に入ったのに、快く料理を出してくれた腕にタトゥをしたBARのおじさん。
バーリのマルシェのレジですてきな笑顔をくれた若い女の子。
ひとつひとつの思い出が、大切な宝物のようによみがえる。
もちろん嫌なこともたくさんあったが、そちらの方は忘れよう。
結論として言えることがひとつある。
それは、日本という国はとてもいい国だということだ。
日本人というのは、とても心細やかな気のつく良い人種だということ。
日本人として生まれてほんとうに良かったということだ。

パリ時間で23時、日本時間で朝の6時。
朝食が出た。
こんな時間に大食いしていいのかね?
空はほとんど暗闇になった。
わずかに水平線が群青に染まっている。
バーリからボローニャを経てフィレンツェへ行った。
フィレンツェのホテル”ロレーナ”の人々は優しかった。
とりわけお母さんが、まるでターシャ・テューダーのような人だった。
食堂のおねえさんもいつも笑顔で、レセプションのおにいちゃんも面白かった。
おやじさんの、老眼鏡をずらして下から睨むような目にはちょっと緊張したが。
フィレンツェからミラノへ。
ミラノからパリへ。
パリ・リヨン駅近くのホテル”コンコルディア”。
10ユーロも値切ってしまったが、私のせいではない。
「80ユーロもだせない」と言っただけだ。
そしたら、居合わせた常連らしき男が、ホテルのおばさんに掛け合ってくれた。
あの白髪のおやじさんもおばさんも良かった。
ルーブル美術館で”モナリザ”を観て、オルセー美術館では”ゴッホの自画像”を観ることができた。
満足だった。
ローマからバーリへ行くESのなかで、隣り合わせになった母子と少し話をかわした。
もうすぐ24時。眠くなってきた。
歯をみがこう。




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中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー24  パリ① [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.22.thu.24th
パリ・リヨン

昨夜はホテル近くの香港料理店でビールと食事をとったが、そのあとすぐにひどく腹を壊した。
早めに22時に寝て、今日はなんとかもっているようだ。
料理したものをバッドに入れ電熱器で温めてならべていたので、菌が繁殖しやすいのかもしれない。
焼きそばと牛肉のたれ焼きと野菜のあんかけ、カレーチャーハン、ビール2本。
野菜がちょっと味がおかしかったような気がする。
しかし、悪いウイルスでなくてよかった。

今日はルーブル美術館とオルセー美術館を訪れた。
ルーブルは中世のもの、オルセーは近代のものという設定のようだ。
ルーブルは壮大な作品が多く圧倒される。
また、”モナリザ”は作品が小さい上に10メートルほどもおいて柵があり、離れたところからしか観ることができない。
ルーブルでは”モナリザ”、”7月28日ー民衆を導く自由の女神”、”ナポレオンの戴冠式”、”ミロのビーナス”、ミケランジェロの”囚われの身/瀕死の奴隷”などを興味深く観た。
撮影禁止の表示はなく、皆カメラでバシバシ撮っていた。
お昼になったので、1階のファースト・フードの店でサンドイッチとコーラを買った。
「このサンドとコーラをちょうだい」という感じで注文する。
店の前には丸テーブルとイスが設置されており、そのひとつに席をとった。
若者たちがやってきて他の椅子を指し、ここは空いているか?と聞くので、どうぞとすすめた。

オルセーではゴッホ、ルノワール、モネ、マネ、ドガ、ロートレック。
ゴッホの”渦巻く青い背景の中の自画像”を観ることができてうれしかった。
オルセーの特徴は、貴重な作品が間近に観れることだ。
通路は壁にかかった作品に手が届く位置にある。

このあとモンパルナスを訪れた。
ここはかつて前衛芸術家が集ったところで、画家ではシャガール、モディリアニ、ピカソなどのほかコクトーやヘミングウェイなどの作家たちも訪れていたという。
ドームという昔ながらのカフェでペリエを飲んだ。
注文の仕方がわからないので、それを飲んでいる人の横に席をとり、ウエイターにあれと同じものをと指差して注文した。
ウエイターは頭の薄いすこし太り気味の、長年この仕事に携わっていることがひと目でわかるような洗練された男だった。
彼はすぐににこやかな顔で氷の入ったグラスにペリエを注いだものを運んできた。
グラスのふちにはライムの輪切りが刺されていた。
10ユーロ渡すと・・おつりをくれたのでチップをあげようかどうか迷っていると、彼は当然チップがあるものと待っていたのだろう、
「メルシー!」と語尾を上げ怒った声で言って店の中に引っ込んでしまった。
私は、この場面で渡すべきだったのだと悟った。
30分ほどペリエを啜りつつモンパルナスの交差点を行きかう車や人を眺めた。
店を出るとき、くだんのウエイターに、
「メルシー」と言って・・チップを渡すと、すばらしい笑顔をつくり、
「メルシー・ボク」と礼を返された。
トイレの場所を聞いて地下に下りていった。
壁にはこの店を訪れたであろう芸術家や小説家などの写真が飾ってあった。


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中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー23  ミラノからパリへ [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.21.wed.23th

この旅もあと3日か。
川の水が美しい。
ミラノからパリに向かっている。
スイスを迂回するかたちで山岳地帯を縫うように列車が走る。
しかも、ほとんど各駅停車だ。
そうでなければ、このあたりの人々は足が確保できないのだろう。
自家用車以外には。

”FLEX”でよかったようだ。検札をパスした。
自動券売機の画面で”BASE”がなかったので”FLEX”を選ぶしかなかったが、これは他の列車に変更できるという意味なのだろう。
ミラノ→パリ便は一日に二本しかない。
しかも、朝の6時40分と16時10分なので、朝の便に乗り遅れということもよくあるのだろう。
そのとき、あとの便に変更できるように”BASE”の設定がないのではないか?
雨が落ちてきた。
高山地帯に入ると寒くなるかもしれない。
車内の車掌によるアナウンスは、イタリア語、フランス語、英語の順で話された。
イタリアの警察官は遊んでいるように見えた。
駅の構内をカートで楽しそうに乗り回したり。

VEVCELLI
いつのまにか雨は止んでいる。
こんなローカル線を通るのか。

8時15分
TORINO PORTA SUSA

9時15分
進行方向左手に高い山。
その手まえは高速道路のようだ。

OULX
線路に沿って浅い川が流れている。
住宅地に近いところは護岸がしてあるが、そのほかはほとんど流れるままにまかせてある。
水は青く、白濁している。

CBARDONECCHIA
針葉樹の森。高い山肌には雪が降りているように見える。
「パスポート プリーズ」
”POLICE NATIONALE”のワッペンを腕に縫い付けた警察官が乗客に呼びかけた。
疑わしいものは偽造がないかルーペでチェックしているようだ。
フランス入国後、イタリアに移動しまたフランスに入国したが、これが初めてのパスポートチェックだ。
パリのシャルル・ドゴール空港では入国カードは不要で、パスポートを見られただけだった。

山々の頂は氷山のように尖っている。
MODANE
登山者たちが乗り込んできた。
ここは登山口なのか。
パリのリヨン駅では、カフェの意地悪な女にいやな気がしたが、SNCFのサポートスタッフは本当にありがたかった。

10時15分
St.JEAN DE MAURIENNE

11時05分
CHAMBERY

スティービー・ワンダーのような体躯の黒眼鏡の男が乗り込んできたが、前の座席は先ほどから通路の向かい側の席から引っ越してきた女が眠り込んでおり、男は諦めて別の空席をさがして座った。
どうしようもなくだらしない、だらけた女だ。
顔は東洋系で、しゃべらなければ日本人と言われてもわからない。おかっぱ頭で目尻が斜め上に引き上げられており、同級生の加藤弘美に似ていた。(笑い)

13時59分のパリ・リヨン駅着だから、昼食は車内で食べておいたほうがよさそうだ。
斜向かいの女はアラブ系の顔立ちで頭にはスカーフを巻いており、先ほどのパスポートチェックのとき文字がアラビア語のようだった。
もしや自爆テロ犯ではないだろうな。
それにしてはリラックスしている。
私の左隣の男と少し話をかわすが、それほど親密そうでもない。
テロの仲間だろうか。
それにしてもリラックスしている。
いくら教条的な狂信者であったとしても、死を目前にすれば表情は違うだろう。
それなりの緊張感なり陶酔感なり表情に現れるはずだ。

川を渡る。流れはなく、水は澄んでいる。

夕べはあまり眠っていない。
2時、4時、5時に起きた。
しかし、窓外の景色を見ないともったいないのでちっとも眠らない。
こんな奥深い山あいにも家があり、道があり、人が住んでいる。
ミラノからパリなので、スイスのアルプスを見れるのかと期待していたが、残念ながらスイスを遠回りに迂回して、イタリアからフランスに入った。
明日はルーブル美術館に行き”モナリザ”が観れるなら観て、それからモンパルナスのカフェで昼食をとろう。

平地になって、猛烈なスピードで走り出した。
ひまわり畑、丘陵、牧草地、大きな石造りの建物。
穀物の収蔵庫だろうか。

1時59分。パリ・リヨン駅に着き、ホテルには2時40分に入った。
”CONCORDIA”75ユーロ 2night
レセプションで料金を見たら、80ユーロだったので、他を探すというと、そこの常連客のような男がホテルのおばさんにかけあって朝食つきで75ユーロにしてくれた。

ヨーロッパにきて二回目の雨が降っている。
小雨だが路面が濡れている。




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中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー22 イタリアーフィレンツェ③ [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.20.thu.22th

ウフィッツィ美術館の長蛇の列にならんでいる。
100mぐらいはあろうか。
30分で50mくらい進んだ。
ダヴィンチとミケランジェロのデッサン、ここまでして観る価値があるか?
ミラノ行きの列車は15時だからまだ時間はあるが。
<スキップチケット33ユーロ>?!
あくどい商売だなあ。
通常14ユーロだから倍以上か?
看板をかかげて、黄色いジャージの女性が二人行列に呼びかけているが、あまりオファーはない。
そもそも彼らがリザーブして入場枠を押さえているから、一般客はその分よけいな時間をこの列に費やさねばならない訳で、彼らへの憎悪がある。
私のまえに並んでいる3人家族。
いいお父さんだ。
物乞いがきたら小銭をあげて、荷物はひとりで一手にひきうけ、おなかが空けばそのザックの中からビスケットやらバナナやらミネラルウオータをとりだして、妻と息子にさしだしている。
しかも、おだやかな顔をして。
1時間経った。
あと50mぐらいか、ということは12時に入ったとして14時まで観れるか。
ならんでいる間にこんな良い人を見ることができたのはツキがある今日の一出来事かもしれない。
今日、銀行でトラベラーズチェック200ユーロをキャッシュに替えた。
4ユーロの手数料をとられておよそ20000円が19600円に目減りしたが、ニースの両替屋で150ユーロ替えたときは13ユーロ手数料をとられたから、それにくらべれば非常に良心的だ。
約15000円が13300円になるって許せるだろうか?
もう次の旅からはトラベラーズチェックは買わないことにした。
2時間経った。
あと30m。
1時間待って行列が動かなければリタイヤしようと思っていたのに、少しずつ30分おきぐらいに入れてるのだろう、動くものだから、リタイヤの機会を失ってしまう。
今日はいい日のはずだが。

行列から離脱してランチをとりに”地球の歩き方”にあった”ホット ポット(HOTPOT)”という店に行った。
昨日の”ダヴィンチ”とおなじセルフの店だが、どちらかというと味は”ダヴィンチ”の方が上だった。
しかし、こちらのほうが値段は高いのだから、困ったものだ。
シーフードサラダとスパゲティナポリタンと缶ビールで14ユーロ。
”ダヴィンチ”はシーフードサラダとリゾットと大ビールで12ユーロ。
シーフードサラダと豚肉グリルとパンと大ビールで11ユーロだったから。
食後は地図を見て、市制市場に行ってみた。
どこの市場も同じような雰囲気をもっていて、沖縄の公設市場を思い出す。
大きなかたまりのままの燻製が山のように吊るして売られている。
色とりどりの野菜。
大きな部位の生肉。
中には、鳥だろうが、こんな大きな食用の鳥がいたかなあと思うような、大きな肉塊が冷蔵のガラスケースのなかに並べられている。
ところどころもう店じまいをしているのは魚の店ではなかろうか。
惣菜屋の前ではテーブルの席が設けられ酒食を提供している。

ホテルに預けた荷物を受け取りにホテルにもどった。
家族経営らしく、父、母、息子、娘二人、そんな感じでなごやかな雰囲気だ。
私が荷造りしていると、父親はどこかに出かけるらしく、
「アイ ゴー」といって握手を求めてきた。
一人前の客として認めてくれたのか。
レセプションから階下に下りようとするとき、娘二人と母親にあいさつすることができてうれしかった。
母親は”ママ”と呼びたくなるような、白髪の穏やかな中年女性で、私にホテルの設備のこと、コ
インランドリーの場所などゆっくりとした英語でかんで含めるように教えてくれた。
ターシャ・テューダのような人だった。

フィレンツェからミラノに向かう列車に乗りこんだ。
この列車は約300Kmを1時間45分で走る。
時速200Kmぐらいなのだろう、窓外の景色が飛んでいく。
ミラノはパリへの乗り継ぎポイントなので、観光する時間はとっていない。
ホテルで一泊し、翌朝早くパリへ向けて出発する。

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中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー21 イタリアーフィレンツェ② [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.19.mon.21th

ミラノ→パリの時刻表を見たいのだが、ネットがつながらない。
こちらのせいなのか、あちらのせいなのか。
IDが消されたわけではない。
ホテルのID入力画面が出ないのはホテル側の問題だろう。

食堂はなぜかうす暗く、天井から吊られたテレビでは朝だというのに刑事ものかなんかのドラマがあっていた。
テーブルに着くと給仕の女性が飲み物を聞いてきた。
この人もここの家族なのだろうか?しかし昨日の二人の男性とは似ていないように思える。
長い髪を後ろで束ねた顔は、笑顔が素敵だ。
パンと紅茶、オレンジ・ジュース、ジャム、マーガリンの簡単な朝食をすませ、明日のミラノ行きのチケットを買うため、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に行った。
フィレンツェの町をもっと見たいので、できるだけ遅く出発しミラノには夕方前に着く便を選んだ。
フィレンツェ15:00発ミラノ16:45着、これがいいだろう。
券売機で買うのも慣れてきた。
52ユーロ。

駅を出てまず最初に向かったのは、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会。
こんなところでもお金をとるのか?3.5ユーロ。
つぎに向かったのが、ベッキオ宮。
6ユーロ。
フィレンツェ共和国の政庁として使われ、現在は一部が市役所として利用されている。
表にはミケランジェロのダビデ像のレプリカが聳え立つ。
2階の窓から、フィレンツェの赤い屋根の町並みが見渡せた。
昼食に、”歩き方”に載っていた店”レオナルド”を地図を見て探した。
30分ほどもかかったが、何度も往ったり来たりした通りにあった。
2階にあるので看板を見落としていたのだ。
セルフサービスなので、トレーをとり、好きなものを載せていく。
何だか、肉が食べたくなっていて、豚肉グリルとサラダとパン、それにビールというメニューにした。
レジで計算してもらうと、11.7ユーロ、味もよかった。
夕食もこの店に来ることにした。

アルノ川にかかるヴェッキオ橋を渡り、ピッティー宮に向かった。
ヴェッキオ橋は橋であると同時に建物であり、土産物屋が軒を並べている。
宝石店が多いのは職人の町だからだろうか?
家族への土産にマグネットのついたバッジを買った。

石畳の通りの一部を借りているのか、2メートル×3メートルくらいの面積に絵を描いている。
東洋系の女性で、描いているのはフェルメールの”真珠の耳飾りの少女”。
原画の印刷物を片手にしゃがみこみ、手指をパステル?だらけにして描いていく。
驚くほど巧みで、そっくりである。
画学生だろうか?習作とともに生活費を稼いでいるのかもしれない。
絵の四隅に金属のお皿が置かれ、カンパが入っている。
ストリート・パフォーマンスか。
私も2ユーロコインを一枚投げ入れた。
彼女はその音を聞いて、振り向きもせず黙々と作業しながらグラッチェと言った。

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”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー20 イタリアーフィレンツェ①  2012.8.20.mon [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.18.sun.20th
バーリからフィレンツェへ。

今日は6時に起きて、8時29分のミラノ行きに乗った。
またもやひと騒動した。
チケットに印字された”010”という車両がないのだ。
6両目までは数えたが、その先10両目まであるようにはその長さからいって思えなかったので、また、フランスの列車のように、10-1-2-3-4・・・という繋ぎ方をしているのではないかと思い、先頭の車両に行ってみたが違っていた。
もう発車時刻になろうとしていたので、近くの車両に乗り込んだ。
女性の技師がいたので”010”はどこかと聞いてみると、先頭だというので行ってみるとファーストクラスで、”010”ではなかった。
戻ってきて、先ほどの技師に「ない」というと、そんなはずはないという。
そこへ男性の車掌がやってきたので、技師が聞いてくれた。
車掌は確信に充ちた表情で、
「ラスト」といった。
「ディエチ(10)ある?」と念を押すと、重々しい真顔で頷いた。
行ってみると、最後尾とその一つ前の車両は番号表示の電光掲示板が故障していた。
私は列車が発車してから15分ほどたってようやく自分の席に座ることができた。
私がカートをごろごろ引きながら車内を行きかうたびに、他の乗客は何をやってるんだろう?という視線を投げてきた。
私の座席のまわりも、何で今頃座席につくのか?という表情をしていた。
だってしょうがないでしょう、あなた方の国の列車がいいかげんなんだから。

BARLETTA

隣は中年の細身の女性で、はじめは私を嫌がっているように見えたが、私が最初の停車駅で駅名のプレートを探していると、
「こっち!」と指差して教えてくれた。
「グラッチェ」と礼をのべると、はじめて笑顔を見せてくれた。
イタリアに於いては”グラッチェ”と”ボンジョ-ルノ”は実に役に立つ言葉だ。
ついでにイタリアの地図を見せて「私はボローニャまで行く。あなたは?」と聞くと、
「ミラノ」と応えた。
「ソー ロング」というと、少し笑った。「ソー ファー」というべきだったか。

FOGGIA

葡萄とオリーブ畑の平野が広がる。
その平野の向こうに山脈が見えてきた。
10時14分。
右手に海が見えてきた。アドリア海だ。
このルートは、山も畑も平野もそして海までも楽しめる。

川は緑色に濁っている。

TERMOLI 10時23分。

ビーチが延々とつづく。
アドリア海を右手に眺めながら北上していく。
10時50分。
日本の家族にあて現在地情報を携帯電話のメールで発信した。
11時15分。
PESCARA
まるで、福岡の”虹の松原”のようだ。
松林のむこうにパラソルがならぶビーチがある。
川が緑色に濁っている。

12時。
CIVITANOVA

エアコンが効いてきたので上着を探していて、今朝バーリのホテルのベッドの上に忘れてきたことに気づいた。
気が緩んでいる。
少し腹も壊したし。
いいホテルなら、パスポートをコピーしていれば自宅に送ってくれるかもしれない。
12時25分。
ANCONA
4時間で500Kmくらいか。
しかし、もっと大事なものを忘れずに済んだだけ良かった。
カメラとかパソコンとかパスポートとか。
おとといホテルのレセプションでパスポートを返してもらうのを忘れたからな。
いったん部屋に入ったあとで気づいて、レセプションに取りに戻ったのだった。
気が緩んでいるようだ。
あと残り6日間。気を引きしめよう。

ANCONAを出ると海が急に荒れてきた。
風が強いようで、波が激しく岩礁を叩いている。
近海の水は砂を含んだ黄土色になっている。
もうあと1時間半になってしまった。
珍しい景色に見とれていると、あっという間に4時間が過ぎてしまった。
波の起きやすいポイントなのだろう。
ウインドサーフィンやパラセールで遊んでいるのが見える。
ANCONAを出て30分もすると、海辺のビーチパラソルはもうたたまれているところが多くなった。
人影も少ない。
<旅の幼年期、青年期、壮年期、老年期>(沢木耕太郎”深夜特急”)か。
こんな短い旅でおこがましいが、似たような感慨を覚える。
海はもう完全に濁っている。
福間海岸のビーチで高波に潜ってケタケタと喜んでいた子供たちのことがあたまに甦った。
あそこもウインドサーフィンのメッカだった。
PESARO13時10分。

9519 TRENO
15:23-16:00
BOLOGNA
FIRENZE S.M.N
ES ITALIA AV
24ユーロ

ボローニャからフィレンツェへは、やはりESしかなくて、バーリから通しで買うと20ユーロだったのが、この区間だけ買うと24ユーロだった。
知らないんだからしょうがない。

16時。
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着した。
バーリから7時間30分の旅だった。
列車の中で”歩き方”を見て、ホテルをいくつか選んでいた。
向かったのは駅から歩いて5分ほどの”ホテル・ロレーナ”(Hotel Lorena)。
メディチ家礼拝堂の向かいにある。
不安定なカートをごろごろ引いて、石畳を歩いた。
ここでも、道路工事が行われていて、石畳が掘り返され、立ち入り禁止のテープが張りめぐらされていた。
ホテルは角地にあり、1階はBARで2階にレセプションがある。
階段を上ると、30代くらいの白人男性が20代くらいの東洋系の女の子に応対していた。
ベッドの上にカード・リーダーを置き忘れてチェックアウトしたが、探しに戻ってきたらしい。
男性は忘れ物はなかったが、もし見つかったら連絡すると、連絡先をメモさせているようだった。
女の子が去り、私が予約はないが、2泊空き部屋はあるか?と英語で聞くと、
いまコンピュータが壊れていて、復旧に2時間ほどかかると言い、今日は空きがあるが、明日の分が確認できないと言った。
そして、誰かを呼び出しカウンターの中で調べ始めた。
コンピュータの他に方法はないか?と聞くと、いま”チョウーボ”を見ている、と先ほど呼び出したおじさんを指差した。
15分ほど待ち、部屋の確認ができた。
明日も空き部屋はあるが、部屋が変わると言った。
変わるなら荷物はどうするのか?と聞くと、自分が運ぶと言った。
OK!と言い、チェックインをした。
おじさんは父親らしく、1976年?に創立したときの客、ミウラという日本人がもう40年間も利用していると、何か賞状のようなものを入れた額をうれしそうに私に見せてくれた。
日本人を信頼しているようだ。
部屋に荷物を置き、町にでた。
花の都フィレンツェ?
いいえ、インチキの町フィレンツェです。
ドーモ前のリストランテでビールとローストビーフのセットを注文した。
一皿目を平らげたので、セカンドプレートはいつくるのかと聞くと、ない!という。
看板には、
ロースト・ビーフ9ユーロ

ポテト

サラダ

と書いてあるのに、ローストビーフの皿だけだ。
そういやポテトとサラダも付けあわせで乗ってたっけ(大笑い)。
ビール二杯とロースト・ビーフで21ユーロだった。
あきれてオーナーの顔をのぞいて店を後にした。
ホテルに帰る前に、夜食にファーストフードの店でビールとサラダを買った。
11ユーロ。
ゆで卵と思ってたのはチーズ?
いったい何がいくらだ?!
今夜の食事32ユーロだ!
すごいな!

ホテルの外では「ガガガガガ」と工事の騒音がしているが、窓を閉めるとぴたっと聞こえなくなる。
こういうところが日本の建具とは違う。

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”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー19 南イタリア バーリ② 2012.7.3.tue [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.17.sat.19th

朝食を済ませ、Bari Centre(バーリ・セントレ)駅に行き、明日のボローニャ行きのチケットを買った。
62ユーロ。
フィレンツェまで通しでも買えるはずだが、ボローニャーフィレンツェ間がES(エウロスターイタリア=高速列車)で出てきて、20ユーロとなるので、ESで約30分の距離なら普通に乗っても1時間ぐらいだろうと思い、ボローニャに着いてから普通切符を買うことにした。
チケットを買ったあと、Bari(バーリ)の旧市街を散策した。
ネットの情報から、バイクの二人組みのスリに狙われるという可能性を考えて、一眼レフカメラはホテルに置き、Fujiのコンパクトカメラを持って街に入った。
Bari Centre駅前からまっすぐ北に向かって”歩行者天国”のソテツや棕櫚の林立するメインストリートが通っている。
ソテツの周囲にはベンチが設置され、あちこちに人々が腰かけ語らいあっている。
真夏の日差しはつよいが、高層の建物のどちらかの側は日陰となるため、ずっと日陰を選んで歩くことができる。
20分ほど行くと、旧市街の南端にたどり着いた。
旧市街は、石造りの建物と石畳が迷路のように入り組んでおり、いったん入り込むと方角を失ってしまいそうだ。
私は持参したコンパスで方角を確認しながら歩いた。
古い建物の窓から、シーツや衣類など色とりどりの洗濯物が干されている。
南イタリアの風物でもあろうか。

昨日の午後、ビールを買いに小さなスーパーに入った。
入ろうとして、知らずに出口側のドアを開けようとしたら、ガラス戸の向こうから「こっちこっち」とシニョーラが指差して教えてくれた。
33clの瓶ビールを3本とミネラルウオータ1本をかかえてレジに並ぶと、先ほどのシニョーラがレジを打っている。
金髪で少しはにかみの20代後半くらいの優しそうな人だった。
私の番になって、2.4ユーロを支払い、つり銭をサイフに入れていると、買った品物を袋に入れてくれにっこり笑ってくれた。
今回フランス、イタリアの旅においてスーパーで袋に入れてくれた人ははじめてだった。
私はうれしくて「グラッチェ」と言って店を出た。
Bari(バーリ)に来て最初に感じたのは、”南国”、日本で言えば”土佐”(笑い)みたいな感じと、映画”イル・ポスティーノ”や”グラン・ブルー”で描かれた海辺の町のたたずまいである。

昼食にとネットで見つけた旧市街の入り口にある店"Osterie Dello Trevi"にむかった。
12時前についたら、コックさんが出てきて13時からだというのでホテルに戻ってでなおした。
1時10分ごろ店に行くと、こんどは中から普段着の無愛想な中年の男がでてきて、
「リストランテ?」
つまりここはレストランだがわかっているのか?と聞いているようなので、
「OK!」といって中に入っていった。
古い建物で、外観からはレストランには見えない。
中に入ると、洞窟のような内装で部屋は二つほどあり、私は一番乗りだったので広い部屋の二人テーブルに席をとった。
「Can you speak english?」と聞いたが、イタリア語で何とかといって返してくる。
何か聞いても、イタリア語だ。
どうも英語が嫌いらしい。
イタリア語でしゃべれよという顔をしている。
「ビーノ?ビーヤ?」と聞かれたので、たぶん飲み物のことだろうと
「ビア!」とたのんだ。
サイズを聞かれたようなので手まねで大きいのを注文した。
前菜はセルフサービスでタパスらしい。
大きなテーブルに8種類ほどのバットに入った惣菜がならんでいて、自分で好きなだけとれる。
私は蛸のマリネ、オリーブの実、茄子の焼き物、をとった。
それを食べ終わると、
「パスタ?」と聞くので、
「NO!」と言った。
「セカンドプレート、ビーフ?フィシュ?」と聞くので、
「フィシュ!」
さらに、
「フライ?グリル?」と聞かれ、
「グリル!」と応えた。
出てきたのはスズキの塩焼きだった。
そのとき、白ワインをと思って、
「ブランクワイン、グラス!」とたのんだが首をかしげる。それで、
「ビーノ、ホワイト」というとわかったようだった。
0.5リットルのホワイトワインがピッチャーに入って出てきた。
辛口である。よしよし。
次はデザートなのだろう、
「フルーツ?」ときいてきたので、
「NO!」と言った。
まだワインがグラス2杯分ほど残っている。
隣の席の家族づれには、コース通りの料理がつぎつぎに運ばれてくる。
私はもうこれで失礼したい。
2時35分。
もう1時間半もここにいる。
木製の椅子に座っているのでケツが痛くなってきた。
退散することにしよう。
勘定をしてもらい、18ユーロというので20ユーロ渡して待っていたがなかなか戻って来ない。
辛抱強く待っていると2ユーロを持ってきた。
おつりの2ユーロはチップにするのが習慣なのかもしれないとあとで思った。
日本酒やワインを飲んで、日光に当たるとどうもいけないらしい。
外に出ると、真夏の日差しを受け、景色がハイキーになりクラクラする。
14時半に"Osterie Dello Trevi"を出て、15時半くらいにはホテルに着いたはずだ。
そして、シャワーを浴び、髪を乾かしてベッドに入った。
そのまま3時間も眠っていたのか。
やっと、すっきりした。
今夜は、サラダとビールぐらいにしておこう。
たしかにワイン50clは多すぎた。
ウエイターというのか、経営者かな?
彼はイタリア語に固執していた。
英語もわかるようだが使おうとしなかった。
「ビーノ?ビーア」
「フィシュ?ミート?」
「フルーツ?」
「英語わかってんじゃーん」と日本語で言ったらにやっとした。
笑顔を見せなさいよ、商売なんだから。
もう来ないよ!

スーパーにビールとサラダを買いに行った。
昨夜のやさしいシニョーラはいなかった。
かわりに、肥ったおばさんがレジにいて誰かを怒鳴っていた。
潮の香りが流れてくる町。
バーリ旧市街。



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”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー18 南イタリア バーリ 2012.6.19.tue [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.16.fri.18th
ローマからバーリへ。
チケットをおととい買っておいてよかった。
今日だったら、大変だっただろう。
せめて、前日には買っておくことだ。
何とかES(エウロスターイタリア=高速列車)に乗れたが、"CARROZZA 005 POSTI"はオーバーブッキングだった。
4人家族が座るうちのひとつが、私のシートナンバーと同じだったのだ。
彼らはどうしようかと立ち上がって相談をはじめた。
私は、いいからそのまま座っていてといい、車掌が検札に来るのを待った。
赤いフレームの眼鏡をかけた車掌がやってきたので、その家族の中のおじさんが、事情を話してくれた。
車掌は無表情で私を、"004 0022"のシートに案内してくれた。
しかし、オーバーブッキングに対する謝罪は一言もなかった。
そして、そのシートに座っていると、しばらくして今度は別の大柄な車掌がやってきて検札をしだした。
案の定怪訝な顔をしたので、私は先ほどの事情を説明した。
その車掌は大仰な態度で、ちょっと待てとチケットをテーブルの上に置き、他の乗客の検札を始めた。
私は、いいのかと思ってそれを取ろうとすると、
「ウオーン」といううなり声をあげてチケットを押さえた。
大柄の車掌は小さな端末機を取り出し、バーリまでの空席を確認しているようだった。
5分ほどして検索結果が表示され、"005 0081"のシートが空席であることを自慢げに私に見せ、チケットにその番号を書き入れて訂正した。
私が「グラッチェ」と礼を言うと、何もなかったかのように他の乗客の検札に廻っていった。
ここでも、オーバーブッキングに対する謝罪はなく、逆に助けてやったのだというような態度だった。
イタリア国鉄の傲慢さは目にあまる。
日本の国鉄も昔はこんなだったかなあと、思いを巡らすことだった。

"005 0081"のシートに行くと、そこには黒人の母子がならんで座っていた。
私がシートナンバーを告げると、母親は、子供は抱えるから隣に座るようにという仕草をした。
私がOK?と聞くと、OK!と言った。
席につき、英語で座席は一つしか取ってないのか?と聞くと、ベイビーのは取ってないと言った。
私が子供に笑いかけると、おだやかな雰囲気になり、居心地は悪くなかった。
地図を見せ、パリから来て、ローマ、バーリ、フィレンツェを廻るのだというと、彼女はイタリア一周か?と驚いた。
あなたはどこまで行くのか?と聞くと、イタリア地図のブーツの形をしたかかとの先端を指さしたので、私も「ソー ファー」と驚きの声をあげた。

"Bene Vento"
線路と平行に高速道路が走っている。
河は濁っている。
オリーブの畑。
日本から持参した文庫本の”深夜特急”で、沢木耕太郎が歩いたところと同じところを自分が歩いたかと思うと、その部分を読み返していて少しジーンとした。

線路沿いに、オリーブの畑と葡萄の畑がつづく。
ただすんなりと、トラブルもなく旅をつづけるのであれば何の面白みもなかったかもしれない。
良い人、優しい人、親切な人々とのかかわりあいが、この旅を豊かにしてくれている気がする。

Foggia(フォッジア)についたのは12時5分だった。
乗客たちは、それぞれに用意したランチをひろげ始めた。
私の隣の母子も、ハムサンドとジュースのランチを始めた。
フォッジアから列車は進行方向を逆にして走りだした。
いったん止まって、また走り出した。
フォッジアが方向転換のポイントなのだろう。
10分以上停車していたので、牽引車両を繋ぎ替えていたのだろう。

Bari(バーリ)に着いたのは13時すぎだった。
駅前にi(Tourist Information=ツーリスト・インフォメーション) をみつけドアを開けた。
iには二人の若い女性がいて雑談をしているようだった。
わたしが入ってきたのを見てすぐにカウンターの中の女性が対応してくれた。
二人は友達だろうか。
町の地図がほしいというと、地図を出してていねいに街の外観を説明してくれた。
ホテル街はどのあたりかと聞くと地図にいくつかのホテルの場所を書き込んでくれた。
どのホテルがいいかわからないので彼女に、
「Do you like which hotel?」(どのホテルが好き?)
ときくと、HOTEL ADRIA(ホテルアドリア)を指差した。
「グラッチェ」と礼を言うと二人とも笑顔で見送ってくれた。
バーリはアドリア海に面しており、ギリシャ行きの船が出ている港町だ。
だからこの名前なのだろうと納得した。
ホテルでチェック・インを済ませ町に出た。
15時30分。
お昼は、列車の中でバーリに着く直前に1本のバナナを口に入れただけだった。

30分ほども歩いて、バーリの港に近いところに良さそうな店を見つけた。
何と発音するのか分からないが、"MEDITERRANEA"という店だ。
食事ができるかときくと、細面で口髭をたくわえたおじさんは、とっくにランチタイムは終わっているにもかかわらず、「Open」と言ってくれた。
おじさんと言っても私と同じくらいの年齢かもしれない。
腕にタトウをしていた。
パスタが食べたいと言うと、ラザニアを食べてみろと言われた。
ポモドール、ラザニア、ビール、ミネラルウオータで11ユーロ。
食べきれなかった。
食べ残したのを詫び店をでた。
コンパクト・カメラを手にしばらく街を散策した。
建物のベランダに洗濯物が干され、港町らしく、のどかで穏やかな風情だ。
ここバーリは、小説”マディソン郡の橋”のなかで、”フランチェスカ・ジョンソン”の出身地となっていて、”ロバート・キンケイド”が以前仕事で訪れ、美しい街だからと数日滞在したという場所だ。

夕食は軽くサラダでもと思っていたが、イタリア国鉄や、日本の情報をネットで調べていたら、21時を過ぎ、あたりが暗くなってしまった。
いちおう外に出てみたが、人通りは少ないし、路地は暗いので、ホテルの冷蔵庫のものを食べることにした。
スナックとドライワイン。
ちょっとビタミンが不足している気がするので、明日はサラダを大盛り食べよう。
ヨーロッパのホテルは立てつけがしっかりしている。
日本のように張りぼてじゃない。
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”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー17 ローマ② 2012.5.26.sat [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.15.thu.⑰
今日も一日よくあるいた。
9:00にホテルをでて、帰り着いたのが17:00だから、8時間もほとんど歩いていたことになる。
コロッセオ、フオロ・ロマーノ、パンテオン、バチカン、サン・ピエトロ寺院。
ホテルを出てまず向かったのがコロッセオだった。
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を見て、カブール通りを南に歩いた。
つきあたったところに大きな教会があり、その裏手というイメージなので、教会の横の路地階段を上り裏通りに出た。
公園があり、そこにも遺跡があったが、コロッセオではなさそうだった。
公園の中を通り、反対側まで行くと、木陰ごしに見えました、壮大なコロッセオが。
5万人を収容するという1世紀の建造物、実物を目の前にすると、やはり圧倒されます。
しかも当時は表面が大理石で装飾されていたというのだから驚く。
宮殿のように輝いていたのだろう。
そして闘技場の中では、人間と猛獣との闘いに人々が熱狂していたという。
大通りを渡り、正面入り口に着いたが入場を待つ観光客の行列。
中に入るのはあきらめて、外周を回ることにした。
裏手に回ると修復の工事が行われていた。
あの何気ない石畳は、20センチ角ほどのブロックを地面に埋め込んでいるものだった。
サン・グレゴーリオ通りをはさんで向かい側にはフォロ・ロマーノがある。
19世紀に発見された、古代ローマ共和制時代の中心地だという。
ここでは、今でも発掘作業が行われていた。
次に向かったのはパンテオン。
フォロ・ロマーノを左手に見ながら、フォーリ・インペリアーリ通りを北西に歩く。
途中でお昼に近くなったので、昼食をとることにした。
大通りからちょっと路地に入ったところに、よさそうなレストランがあった。
壁から差し出されたビニールの軒下にテーブルが並べられている。
私が一番乗りで、まだテーブルと椅子を出しているところだった。
メニューの写真を見て、ムール貝のパスタとハイネケンを注文した。
ビールを飲んでいる間に、続々と客が増え騒がしくなってしまった。
パンテオンは通りから少し中に入ったところにあった。
正面から見ると、ちょうど右半分が修復中で、足場に覆われていた。
中に入って感心したのが、天井の大きな丸い明りとりで、神の恩寵のような陽光のスポットライトが建物の中に差し込んでいる。
まさに神殿である。
光につつまれた人々はまるで天に連れて行かれるのではないかと錯覚させられるようだ。
パンテオンを後にして、テヴェレ川を渡りバチカンに向かった。
サンタンジェロ城の前に屋台が出ていたので、カットされてカップに入ったスイカを買った。
3ユーロは少々高いかもしれない。
夏のイタリアは日差しが強い。
ゴルドの土産物屋で買った麦わら帽子は、あれからずっと役に立っている。
冷えたスイカがおいしかった。
コンチリアツォーネ通りのつきあたりに白いサン・ピエトロ寺院が悠々と鎮座している。
歩道を行くとここにも物乞いが座って道行く人々に悲しそうな顔で何か訴えている。
フランスもイタリアもこんなところが似ている。
サン・ピエトロ広場は野球場がいくつもできそうなくらい広大で、それを囲う神殿のような回廊の屋根には140人の聖人の彫像が並んでいる。
中に入ると、すぐ右にミケランジェロのピエタがある。
キリストを抱くマリアの大理石像だ。
マリアの悲しみが伝わってきそうだ。
今日はこれで帰路に就くことにした。
歩き疲れた。
ホテルに戻りシャワーを浴びた後、夕食は近くのインド料理店に入った。
気軽なファースト・フード・ショップタイプの店で、カレーとパンとビールをもらった。
全部で7.5ユーロ、ちょっと贅沢か?
ホテルの窓からは、今夜も歩道にテーブルを並べたカフェの賑わいが見える。
明日は8:45のバーリ行きにのるので、早めに寝よう。もう眠いし。



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