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”ここは楽園 T's Island Photo Gallery” はこちらです
<撮影使用機材> ボディ:CANON EOS 5D Mark II  レンズ:EF70-200mm F2.8L IS II USM、EF24-70mm F4L IS USM、EXTENDER EF2×III  三脚:HUSKY ハスキー3段 #1003
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”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー16 ローマ 2012.5.10.thu [フランス、イタリアの旅]

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2020.7.14.wed.16th

ジェノバ駅でローマ行きの切符を買った。
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7/14 WED Oggi
11:00 T19765 ROMA TERMINI 15:50 ES CITY 2class
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11時発のローマ行きに乗っている。
先に南イタリアのバーリをまわり、フィレンツェは帰りに立ち寄ることにした。
チケットを買うのにてまどった。
イタリアに入ってうっかり時刻表を手に入れるのを忘れていて、動きがとりにくくなった。
フランスでは時刻表といえばGARE(駅)に置いてあるのに、イタリアでは大きな時刻表が壁に掲示されているだけで、乗客に配布するものは用意していないようだ。
”地球の歩き方”によれば、<駅にイタリアを南北に分けた詳しいものがある>ということだったが、情報がちと古かったのか。
キオスクにもそれらしいものはなかった。
せめて、路線図だけでもあれば助かるのだが・・・

今朝、ジェノバ駅の窓口で、ローマ行きのチケットを買おうと、列車の時刻、行き先、到着時刻、列車NOを記したメモを渡して、このチケットをと頼んだのに、何か質問をしたあとでさっさと端末機に入力を始め、渡されたのは出発間際の9時発のチケットだった。
こちらは11時発のメモを見せたのに、勝手に9時発にしていたのだ。
時刻の変更を申し出ると、さらに13ユーロの手数料をとられた。
ただあの時の質問が、「ひとつ早い列車があるがそれにするか?」と聞いたのかもしれないが、私はSi(はい)とは言っていない。意味が分からなかったので「ハアー?」と聞き返しただけなのだ。
思いかえせば、その窓口の中年女は最初から私を見て睨むような恐い顔をしていた。
日本人あるいは東洋人が嫌いなのかもしれない。
昨日の罰金といい、このボッタクリ手数料といいイタリア国鉄は!
まあ、これも勉強か。
イタリア女はなぜああ意地悪なんだろう。
そういえば、昨夜のジェノバ駅構内のピザショップのお姉ちゃんも、日本語で「これとこれ」と注文すると、しまいには怒っていたようだったからなあ。
昨日の昼、国境の駅ベンチミグリアでサンドイッチを買ったときもそうだった。
先にサンドイッチのチケットを買い、売り場に持っていくと、何度も同じ質問をされるので、「外にはいらないから、これだけで・・・」と言うと、お姉ちゃんは怒って、サンドイッチをドン!とカウンターの上に置いたからなあ。
イタリア女って気が短いのかなあと思いますね。(苦笑い)

<言葉について>
フランス人は英語がきらい、アメリカ人がきらいなようで、頭からこちらが英語で話すと、いやな顔をする。
だから、まずは日本語で話しかけ、相手が"Do you speak ingrish?"と聞いてきてから英語ではなすと良い。
イタリアでは日本語で話すと嫌な顔になるので、最初から英語で話したほうが良い。
基本的にはそうなる。
私のわずかな経験だけからだがそう感じる。
今日はまだ16日目だが・・・
十人十色、百人百様だろうとは思うけど。
やさしい人たちにもたくさん出会った。
それは、この旅の大きな収穫だね。
やさしい人たちにたすけられて、ここまで来れたようなもんだ。

<慣習について>
フランスもイタリアも、ホテルやレストランなどサービス業以外は、公務員労働者のような感覚をもっているようだ。
そんな態度で対応される。
フランスでは街中はごみだらけ、タバコの吸殻だらけ。
タバコは、火がついたのを平気で投げ捨てるし。
ゴミ袋が歩道にいっぱいぶらさげてあるのに、街にはごみが散らかり放題。
清掃員(これも公務員か?)がずーっと掃除しつづけているのに、ごみはなくならない。
いったいどうなっているのだろう。
何とも不思議な国だね。
イタリアもごみが多いのは同じ。
イタリアのいいところは、国鉄のシステムがわかりやすいというということ。
チケット買って、インフォメーション・ボードを見て、乗り場に行けばいい。
フランスは怒りたくなるほどわかりにくい。
きわめつけは、アヴィニヨンの国鉄で、列車に乗るつもりでチケットを買って、待っていたら、インフォメーション・ボードのVoie(乗り場)に車の表示がある。
まさかと思って、駅のスタッフらしき人物にたずねると、「アウトサイド.ダウンステア」といわれ、言われるとおり外にでて、階下におりると、ありましたよバスターミナルが。(笑い)
列車とバスの出発が、駅の同じインフォメーション・ボードに並んでいるのがわからないが、駅でのチケット・マシンで買ったチケットが、どちらにも使えるということは、場合によって、列車にしたり、バスにしたり、振り分けているのではないだろうか。

列車でフランスからイタリアに入っていくと、窓から見える建物の様子がかわってくる。
イタリアの建物はフランスのそれにくらべて、つくりが華奢で、壁が薄い気がする。
フランスが古い建物を元の姿を残しながら、修復して、現代に適応させて使っているのにくらべて、イタリアでは、どこか日本のプレハブ住宅に似て、軽薄な感じがする。
もちろん、観光地など、歴史のある町並みは別だが。

-Pisa Centre-

ローマ・テルミニ駅に着いた。
まず、ホテルを探さねばならない。
”歩き方”にあった”ホテル・スイートホーム”を探すことにした。
テルミニ駅から5分ほどの場所で、地図を見てその場所に着いたが、玄関のドアが開かない。
隣のホテルに入りレセプションで聞くと、ここは”ホテル・カリフォルニア”だという。
支配人は恰幅の良い中年の男で、マフィアのボスのような容貌だ。
地図を見せてここに”ホテル・スイートホーム”があるはずだと言うが、ここは”ホテル・カリフォルニア”だという。
料金を聞くと、スペシャル・プライスで一泊50ユーロだという。
こちらも疲れていたので、ここに泊まることにした。
ローマは見所が多いので、二泊することにした。
支配人のあとについて行くと、おそろしくクラシックなエレベータがあった。
シャーロック・ホームズか何かの小説にでも出てきそうな、黒い鉄のフレームの骨格に金網が張ってある骨董品のようなエレベータである。
鉄の扉を開き、ゴンドラのドアを開け、ボタンを押すと、ギシギシと音を立てて上に上がって行った。
エレベータを降りて、下がっていくところを上から見ると、ワイヤー・ロープは埃まみれで屋根には煙草の吸殻がいくつも投げ捨てられていた。
部屋は4階で、しっかりした厚手のドアがオート・ロックになっていたが、カードで操作するのがうまくいかず、支配人は、担当者を呼んだ。
窓から下をのぞくと、路面電車の線路をはさんでカフェが立ち並んでいる。
私は荷物を整理した後、洗濯物をもってレセプションへむかった。
エレベータをつかわず階段をおりていくと、二階に別のホテルのレセプションがあり、看板をみるとそれは最初にさがしていた”ホテル・スイート・ホーム”だった。
あのオヤジめ、嘘はついていないが本当のことも言っていない。したたかなオヤジだ。まあいいか。
レセプションでコイン・ランドリーの場所を訊いた。
「ホテルを出て右100m」と聞いたが、どこまで行っても見つからない。
ホテルへもどってもういちど訊きなおすと、オヤジはホテルの外まで出て、そこだと指差した。
ホテルのむかいにあったのだ。先ほどは別の何かを訊かれたつもりだったらしい。

夕食は、コイン・ランドリー横のファースト・フードの店にした。
カバブとビールを注文した。
そのあとテルミニ駅に行き、地下の商店街にスーパー・マーケットがあるかどうかチェックした。





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”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー15 ジェノバ 2012.5.8.tue [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.13.tue 15th

フランスからイタリアに入るにはどうしたらいいのか、わからなかった。(笑い)
国際列車に乗るつもりでいたが、ボーダーまで行けば何とかなるのか。
SNCFのBillet窓口に行くと、今日の国際列車はもうないという。
ボーダーがベンチミグリア(Ventimiglia)だから、そこままで行けばフィレンツェ行きの列車に乗れるときいてうれしくなった。
とりあえず、モナコ(Monaco)まで行って、ベンチミグリア行きに乗り換え、ボーダーまで行ってみることにした。

ニースで買った歯磨きが大きなチューブで、日本に帰ってからも1ヶ月くらい使えそうだ。
アルルで買ったブリーフは使い方がいまひとつわからないところがある。
靴下はまあまあだ。

モナコは物価が、他のところと比べると少し高く、昨日はランチに26ユーロも使ってしまった。
といっても、大きなグラスのビールを2杯飲んだのが原因だが、6,5ユーロ×2=13ユーロのビールがなければ、11,5ユーロで済んでいたのに。
ニースの”ホテルノルマンディ”は快適だった。
古い部屋だがWiFiがタダでできたし、近くのコインランドリーで洗濯もできたし、「歩き方」を見せて、これで探したのだと言ったら、朝食はサービスしてくれたし、ニースビル駅横のビュッフェ・レストランでは安くて良い食事ができた。
ムール貝のワイン蒸しは山盛りで、腸詰の肉や牛肉のステーキを摂った。
ワインはピッチャーで1,5ユーロ!

ベンチミグリアに着き、 i でフィレンツェへの行きかたをたずねた。
フィレンツェに着くのは21:30になるという。
ジェノバまでなら17:00に着くということなので、そこで一泊することにした。

ベンチミグリアからジェノバ(Genova Brignole)までの車中で車掌の検札があり、改札の時に刻印を忘れたばかりに、5ユーロの罰金をとられた。
イタリアでは駅のホームにある自動刻印機に切符をさしこみ刻印するきまりになっている。
彼は真剣に怒った顔でイタリア語で何かまくしたて、英語ができる車掌をつれてきて私に説明させた。
日本なら改札をしなかっただけでこんなことは考えられないのだが。
同じ原因なのかわからないが、他の乗客も車掌に何か文句を言っていて、周りに不満が広がり、車内が大議論になっている。
向かいの席のおばさんが私の顔を見てそうなのよという顔をしてうなづいている。
日ごろからみんな、イタリア国鉄に対する不満を抱いているのではないだろうか。

ニース、モナコを離れ、イタリアに近づくと、車窓から見える海がどんどんきれいになっていく。
日本の石垣島の海のようだ。
ジェノバに近づくと、急に湿気が出てきた。
肌がしっとりしてくる。
ジェノバは一泊だけにして、朝フィレンツェへ発とう。

ジェノバの駅にはホテルガイドらしきものは置いていないので、外にでてみた。
左手には巨大なビル群、右手には大きな古い建物がホテルになっていて、その左端はシネマになっている。
私は右手を選んで歩き出した。
ちょうど帰宅の通勤ラッシュにかかったようで駅に向かう人の群れとすれ違う。
日差しはまだ高く日光が肌をさす。
大型のバスがひきもきらず駅前のターミナルに出入りしている。
列車のように2台連結されたバスもある。
この街には活気がある、と思った。
大きなホテルの建物の端にどこか別のホテルの看板があった。
そちらのほうが安そうなので、その矢印にしたがって大ホテルの裏側にまわりこんだ。
小さな入り口から階段をのぼったところがレセプションのようである。
フランスでは、ホテルの入り口に星の数と料金が掲示されてあったが、イタリアは違うらしい。
まあ、料金だけでも聞いてみようと階段をのぼっていくと、人のよさそうな白髪のおじさんが迎えてくれた。
一人、一泊であることを告げ、料金を聞くと65ユーロ。
「OKOK」と承諾し、クレジットカードをさしだした。
おじさんは、こちらがいいよというのに「イイヨ」といって重いカートのバッグを持って3階の部屋まで案内してくれた。
その部屋はこの旅で泊まった宿の中で最高の部屋だった。
とりあえず、シャワーを浴びて一杯やろう。
冷蔵庫をのぞいたら、66dlの大瓶が2ユーロとなっていたので、安い!と思わず感激したのだった。

ひといきついた後、カメラを持って街に出た。
ジェノバといえば中学校のときの地理で、港に面した工業都市ということだったと思うが、最初から立ち寄る予定がなかったので情報がまったくない。
ホテルのレセプションで地図をもらったものの、イタリア語ではイメージしかわかない。
とりあえず、自分の足と目でたしかめることにした。

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”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー14 モナコ 2012.3.21.wed [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.12.mon.14th

旅に出て14日目か。
もう外国に居るような気がしなくなった。
ホテルに居ると、博多あたりのビジネスホテルの中に居るような気がしてくる。

今日はモナコの街を軽く歩いて、あと、明日のフィレンツェ行きの準備をします。
このところ歩きすぎて疲れているからね。
モナコで見たいのは、フォーミュラ1のコースぐらいだしね。

10時53分発のTERで二―ス・ヴィル駅からモナコに向かった。
所要時間は32分。
モナコ・モンテカルロ駅は地下にある。
階段を上って地上に出ると陽光がまぶしかった。
出てきたところにちょうどiのブースがあり地図をもらった。
若い黒縁めがねをかけた白人の女性スタッフに、FIグランプリのコースがわかるか?と聞くと、その地図にボールペンでするするとコースのラインを書き込んでくれた。
観光客にはよく聞かれるのだろう。
メルスィーといって階段を下り、モナコの街に出た。
港への道を下っていくと、フェラーリを扱っているショップがあり、作業をしているおじさんにボンジョールと声をかけ、赤や青のフェラーリを写真におさめた。
海岸通りにあるF1モナコグランプリのスタート地点から、海にのぞむコースを歩いて一周することにした。
日差しが強く、ゴルドで買った麦わら帽子が役に立つ。

アルバート大通りのスタートからサン・デ・ボーテコーナーを曲がり、ボー・リバージュの上り坂の途中で右手にモナコ湾が望める。
港には、豪華な白いクルーザーが整然と並んでいる。
船の後尾にテーブルを設え、花を飾っているものもある。
パーティーでもするのだろうか、毎日でも。
第3コーナーをすぎてカジノ・スクエアに出る。
カジノの前には高級車が並んでいて、その前で観光客が記念写真を撮っている。
そのコーナーを当たり前のように、ポルシェやフェラーリがエキゾースト・ノートを響かせて往きかう。
第4コーナーを右に曲がりミラボー、そしてローズ・ヘアピンへと下り坂がつづく。
ヘアピンの縁石にはいくつもの黒いタイヤの跡がついていた。
この中にアイルトン・セナが遺したカーボンもあるのだろうか。
ポルティエからトンネルに入る。
ここはレースのときよくテレビで映像が映しだされるところだ。
ホテルのガラス窓に映る自分を撮った。
ヌーベルシケインからタバココーナー、プールサイドシケインを抜けてラスカス、アントニーノーズを曲がるとスタートに戻る。
歩いて腹がへったので、昼食を摂ることにした。
モナコ・モンテカルロ駅への坂道にカフェが立ち並ぶ。
テーブルを見て、安くてボリュームのある料理を出している店に入った。
ウッドデッキの上のテーブルを選び腰かけると、店の主人が出てきた。
メニューの中から二番目に安い料理と、生ビールを注文した。
生ハムのサラダとパンだが十分腹にたまる。
もう一杯ビールを頼んだ。

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中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー13ニース 2012.2.28.tue [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.11.sun.13th

朝食をすまして、カメラ、三脚を持ち街に出た。
街の中央を走る、ジャン・メドゥサン大通りをまっすぐ海辺へと歩いた。
道幅は広く、近代的なデザインの路面電車"トラム"が走っている。
デパートやマクドナルドなど日本でもお馴染みの光景が見える。
20分ほど歩くとマセナ広場を抜けて海に出る。
旅行雑誌の写真のような弓なりになった浜辺が遠くまでのびる。
おしゃれなブルーと白で彩られたビーチパラソルとリクライニングの椅子。
大勢の人々が海水浴や日光浴を楽しんでいる。
海を眺めながら憩えるウッドデッキのあるカフェ。
広い歩道では、ローラースケートやランニングをする人々。
海岸線に沿って白いホテルの建物が階段状に山側へと続く。
世界中のセレブがここにやってきてバカンスを楽しむのだろう。
ここは天使の湾という名前がついているらしい。
海辺の通りから一歩旧市街地に入ると、朝市がたっていた。
テントの列が並び、間に通路があって観光客や地元の人々でにぎわっている。
ジャガイモ、トマト、玉ねぎ、スイカ、イチゴなど色とりどりの野菜や果物、数十種類の香辛料、パンやお菓子、魚介類に切り花、カラフルな石鹸。
ここに来れば何でも揃いそうだ。
旅先でこんな市場をのぞくのが好きだ。
その土地の生活や風俗を垣間見る思いがする。
市場を後にして、湾の全景が見渡せる城跡にのぼった。
写真を撮っていると、高校生くらいの団体がやってきたので城跡をおり、旧市街地を歩いた。
古い石造りの建物が続き、その間を細い路地が入り組んでいる。
窓の先には洗濯ものが干されていて、生活感がある。
途中方角がわからなくなり、同じところを何度も迷って歩いていた。
二人づれの白人女性に、地図を広げてニースビル駅の方向を教えてもらった。
自分の方向感覚が随分いい加減なものだと思い知った。
昼食をニース・ビル駅の隣のビュッフェ式のレストランで摂った。
腸詰の肉とパン、ビールに山もりのムール貝という充実した食事になった。
午後、コインランドリーで洗濯機をまわしている間、少し町を歩いた。
マルシェの前で若い女性の物乞いがこちらを懇願するように見つめたので、50サンチームを紙コップの中にいれた。
夜はニース・ビル駅の前のベトナム料理店に入った。
ヌードルが懐かしくなり、ラーメンに似た料理とビールを注文した。
とてもおいしかった。

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”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー12ニース 2012.1.29.sun [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.10.sat.12th

どうにかニース(NICE)行きのTGVに乗ることができてよかった。
カヴァイヨン(CAVAILLON)からTERでマルセイユ(MARSEILLE)に着き、5分後にニース行きのTERが出るところだったが、
トイレに行きたいのと、切符を買ってなかったので間に合わないと思いあきらめた。
トイレを出ると、時刻ボードに15時27分のニース(NICE)行きがあり、思い込みでチケットを買ったのがいけなかった。
TER(普通列車)ではなくTGV(高速列車)だったのである。
窓口に並ぶ客を整理しているSNCFの案内スタッフの女性に、TERのチケットにTGVの予約を付けられないかと聞いてみたが、NO!と言う。
この切符で乗れるのは普通列車だけだ、と言っているようで(regional ticketと聞こえた)、払い戻しはできないか?とさらに聞くと、怒り気味に、わざわざチケットにTERの発車時刻を書き込んだ。
仕方がないので、ダメモトでチケット売り場の窓口に並んだ。
順番が来てチケットを出し、I want ride to TGVと言うと、すぐに理解してくれたらしく、さっさと処理をしてくれた。
何のことはない、TERの運賃にTGVの予約を追加できたのだ。
窓口の女性は、あまり英語は話せないと謙遜したが、Good!とほめ、私はうれしくてメルスィーと言って握手をかわし、その場を後にした。
また、一歩前に進めた気がした。

ニースビル駅に着き、”地球の歩き方”に載っていたホテルを探した。
1軒目は駅から10分ぐらいのキッチンのついたホテルで、チャイムを押すと二人ずれの若い女性が出てきたが、それは客だった。
同時にインターホンから中年女性の声で返事があった。
明日の空き部屋はあるが今日はないということだった。
2軒目の”ホテル ノルマンディ”は駅から5分のところにあった。
30代くらいの短い金髪のにいちゃんがレセプションにいて、部屋は空いていた。
ここに3泊することにした。
一泊69ユーロ。
ガイドブックを見せると、朝食をサービスすると言った。
料金を支払うために、クレジット・カードの暗証番号を入れようとするがエラーになる。
レセプションの彼はボタンが違うと言っているらしい。
三度目で意味がわかった。
暗証番号の1のつもりで押していたボタンが↑だったのだ。
「これ1に見えるじゃーん!」と日本語で言うと、彼は笑って、それもそうだという顔をした。
部屋は3階で、鎧戸を開くと通りと向かいのホテルが見えた。

Do you have a vacant room?
1 person
3 night
7/10 sat、11 sun、12 mon


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”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー11 ゴルド 2012.1.13.fri [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.9.fri.11th ゴルド

Gare Rutie(バスターミナル)でcavaillon発10時25分のバスを待っていたが、来なかった。
間引きをしたのだろう。
次のバスは2時間後だったので、いったんホテルに戻り、昼食をとることにした。
ホテルの自販機のハイネケンが意外に安く、35dlが1.5ユーロだったので、あの食料品店で買うのとあまり変わりない。
もうホテルで買うことにした。
よく冷えているし、遠くまで歩く必要もない。
サラダとビールと昨日のバゲットで昼食をとった。
12時25分のバスに乗ろうと、Gare Rutieに行ったが時刻になってもバスが来ない。
また、間引きかと思っていたら、日本人らしき女性がやはりゴルドに行くつもりで待っていた。
話をしたら、日本人ではなかったが、ゴルト行きの張り紙をしたミニバンのにいちゃんをつかまえていて、ゴルドまで2ユーロで行くという。
にいちゃんの話を聞いていると、どうも夏休みで子供たちが乗らないこの時期は、バスが走らないということのようだった。
フランスの国鉄はふざけている。
そんなこと何の表示もしていないのに。
にいちゃんのミニバンはその代りの白バスってとこか。
とりあえずその白バスに乗ることにした。
このほうが、バスでのろのろ行くよりいいや。
30分ほど走り、ゴルドの山上のシャトーが見えるところで降ろしてもらった。
「"Abbaya de Senaque(セナンク修道院)"まで送ろう」と言っていたのだろう。
しかし、「歩くから」と言って降ろしてもらった。
これが甘い考えだったことに後ほど気づくことになる。
シャトーをしばらく撮影したあと、日差しが強いので土産物屋で18ユーロの麦わら帽子を買い、セナンク修道院へむけて歩き出した。
しかし、炎天下の上り坂、歩いても歩いても見えてこない。
30分ほども歩いただろうか。
道路から崖下に、石造りの建物とラベンダー畑が見えてきた。
それは壮観で、ここまで歩いてきて本当に良かったと思わせるものだった。
三脚をセットし数枚の写真を撮った。
体力のことも考えあわせ、この景色を見たからもういいやと自分に言い聞かせてゴルドに戻ることにした。

ゴルドのシャトー前広場のカフェでビールを飲んでいる。
パラソルの日陰で冷たいビールを飲んでいる。
なんと気持ちいいのだろう。
先ほどまでの、日照りの下の、倒れそうな私は何だったのだろうか。
カフェのにいちゃんの話では、バスはこの広場の下へ降りたところに来るという。
17時55分。
まだ、45分間もある。

ところが、バスは来なかった。
広場の下にはバス停さえなかった。
やつは、いいかげんな男だったのだ。
しかたがないので、とうとう歩くことにした。
しかし、行けども行けども平原で、車が速度をあげて通りすぎるばかり。
フランスの日没が遅いとはいえ、日はしだいに落ちていく。
行き倒れになるかと思った。
5、6Km歩いたところで小さな町に着いた。
レストランに入りタクシーを呼んでもらうつもりで、とりあえず夕食をとった。
ところが、タクシーを頼むと、どの会社も「コンプリート!」で空きがないという。
店主と電話をかけてくれた青年たちに礼を言って店を出た。
もう日は落ちていて、危険でもあり、ホテルを探すことも考えたが、空きもなかろう。
あとは自分で歩くしかない。
カメラバッグと三脚の重量が肩に食い込む。
8Km。2時間歩けば何とかなるだろう。
あてもなく麦わら帽子を振っていたら、1台の車が止まってくれた。
カヴァイヨンCavaillonに行くか?と聞くと、OK!Cavaillonと答えてくれた。
このとき私は、神に救われた思いがした。
彼の名前は”オー・ドワンナ”、フランス人。
彼の名前はいつまでも忘れない。
Cavaillonとスペインの”サンチアゴ・デ・コンポステーラ”とのつながりを話してくれたようだった。
私が”サンチアゴ・デ・コンポステーラ!”と言うと、
「オーイエース!」と歓びの声をあげた。
この名前は、スペインを旅した友人から聞いたことがあったのだ。
キリスト教の三大巡礼地のひとつだという。
彼は車を”ホテル トッペン”の前までつけてくれた。
降り際に「あなたを忘れない」と言い握手をした。
お礼に10ユーロを渡そうとすると、
「Not poor people」と言ったが、
「Prease!」と言って、ダッシュボードに置いて降りた。
「Sank you」という声が聞こえた。
彼は車を元来た方向に転回させ、お互いに手を振って別れた。
彼のシスターが”ホテル トッペン”で結婚式を挙げたと言っていた。
明日、支配人に聞いてみよう。
どこの国にもいろんな人間がいる。
フランスにもこんないい人がいた。
フランスを早くのがれたかったけど、押し戻された気がした。

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”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー10カヴァイヨン 2011.12.24.sat [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.8.thu.

アルルからカヴァイヨンに向かうことにした。
いま流行りのプロバンスの小さな村を訪ねるためである。
そのため拠点をカヴァイヨンに決めたのだった。
アルル駅前のガール・ルーティエからバスが出る。
駅構内のiでi乗り場を聞き、バスを待った。
40代くらいの白人の男が話しかけてきた。
彼はカナダに家族を残してこちらに渡り、バスの運転手をしているという。
もうすぐ本国に戻ると言っていた。
カナダから?本当か?と言うと、免許証を見せて笑った。
私の年齢を尋ね、若く見えるといって驚いていた。
10分ほどして、彼が待つバスが先に来たので手を振って見送った。
アルル11時40分発のカヴァイヨン行きのバスに乗った。
道の両側には農場が広がる。
ゴッホのひまわりを思わせる広大なひまわり畑や、農場、小高い山並みが見渡せる。
乗客は私一人。
運転手は制服などないらしく、半袖のポロシャツを着ていた。
カヴァイヨンには13時過ぎに着いた。
カヴァイヨンの地図とホテルの情報を手に入れるためにiを探し、道案内の矢印を追って歩いたが
見つけられなかった。
仕方がないので通りに面したホテルに入り空き部屋があるか尋ねた。
支配人は40代くらいの痩せた白人で、口髭をたくわえ腕にタトウをしていた。
フランスではタトウがあたりまえのファッションになっているようだ。
幸い空き部屋はあり、とりあえずここ”ホテルトッペン”に2泊することにした。
一泊64ユーロ、朝食が8ユーロ。
ホテルの入り口はオート・ロックになっており、支配人はわざわざ玄関まで私を連れて行き
使い方を教えてくれた。
言葉で説明しただけでは私が理解していないと思ったのだろう。
部屋はきれいに掃除され、設備もこれまでで最もよかった。
窓には跳ね上げ式の鎧戸が付いていて、外の景色は見にくいのが難点だった。
ここからならゴルドも近いはずだ。
iを探す途中、歩いていてコインランドリーも見つけたので洗濯もできるし、今日は洗濯と情報収集をすることにした。
ホテルに荷物を置き、昼食を摂りに外へ出た。
通りにはパリと同じく、やはりカフェが並んでいる。
ホテル近くのタイ料理店に入りカルパッチョをたのんだ。
出てきたのはツナサラダだった。
ハイネケンをたのんだら250CCのビンビールが出てきた。
どうも食事の方ははずれだったようだ。
昼食後、町を散策した。
iで情報を得たかったので再度標識にしたがって探した。
アルル駅からまっすぐ山手に向かって歩き、突きあたりを左に折れた。
昔のままの古い石造りの建物が並ぶ。
その通りを過ぎて広場に出ると、iがあった。
中に入ると、カウンターの中に大柄の中年女性と細めの若い女性が他の客に応対をしていた。
私はパンフレットなどを探しながら待った。
私の番が来たのでカヴァイヨンの地図と、小さな村へ行くバスの時刻表があるかと聞いた。
パンフレットの写真を見て、よさそうな村を選び、Les Taillades、Merindol、そしてgordes(ゴルド)の時刻表をもらった。
iを出てカヴァイヨンの駅に向かった。
iの標識は遠回りに案内されていると思った。
途中、食料品の店や酒屋の場所を確認して歩いた。
八百屋や、サンドイッチの店、コンビニ風の店、惣菜の店など必要なものは手に入りそうだった。
コイン・ランドリーで洗濯をし、ホテルの部屋にロープを渡して干した。
夕方になり、コンビニでハイネケンを2本と、惣菜屋でハンバーグ風の煮物、そしてサンドイッチ屋でサラダを買って帰った。
旅に出て一週間を過ぎ、ずいぶん慣れてきたようだ。
外国に居るような気がしなくなっている。





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中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー9 アルル 2011.12.3.sat [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.7.wed.9th

フィンセント・ファン・ゴッホの描いた”跳ね橋”を撮りに来た。
いま、その橋を目の前にして、ここにいるという実感がなかった。
はるばる日本からここまで来たという実感がなかった。
それは、もう外国いるという感覚がなくなっていたのかもしれないし、ここがフランスなのだということを感じられなかったのかもしれない。
往路、道際の住宅地から自転車を押して出てきた子供たちに、”跳ね橋”の写真が載っているパンフレットを見せて道を尋ねたら、案内してくれるという。
そして、撮影機材を背負って歩く私を、小さな自転車をよろよろと運転して、振り返り振り返り先導してくれた。
姉妹らしく、上の子は黒縁の眼鏡をかけていて小学1、2年生くらい、私を気遣い、先に行ってしまう妹を、ちょっと待ちなさいとでも言っているのか、たびたび止まらせながら案内してくれた。
”跳ね橋”の手前まで来て、もうここまででいいよ、ジュス(ジュース)でも買いなさい、メルスィーと言ってそれぞれに2ユーロをあげた。
二人が「メルスィー」と言って立ち去ろうとしたとき、私が「フォト」というと、自転車に跨ったまま両足をついて立ち止まりこちらを向いてくれた。
シャッターを2回きった。
手を振ると二人は「メルスィー」と言って振り返りながら去って行った。
このふれあいは私にとって、この旅の宝になった。
帰り道、ゴッホも歩いたであろう川沿いの土の道を歩いた。
30メートル程の川幅で、水深があり、船上レストランの船が数隻係留されていた。
日差しが強い。
不思議な感動があった。
画家も、アルルの街中からここまで歩いて通っていたのだろうかと。
今日、私が歩いた同じ道を。

夕方、節約のためレストランをやめてファースト・フードの店にしたが、これがなかなかの本格ハンバーガーが出される店だった。
カウンターのガラスケースの中に材料を並べ、上にはメニューが写真入りのパネルで金額とともに掲示されている。
様式は日本のマクドナルドと同じだが、違うのは、職人のにいちゃん二人が汗をタラタラ流しながら声を張りあげて、厨房の中で作っていることで、いかにも本物と感じさせられるところだ。
本当においしい、ハンバーガー職人の店だった。

一喜一憂の旅だなあ、本当に。
さっきの不安は今の喜びになっている。

下の娘と重要な話があった。
話したい事があるからと携帯のメールに入っていたので、今からでもskypeでと返事し、接続となった。
いい人ができたらしく、今度会社の移動で東京に行くのに、一緒に住みたいということだった。
娘に相手ができたことは、喜ばしいことだったので、
「おお、そうか」と了解した。
私のこの旅が終わったあと、一度会うことにした。
<40歳、釣り仲間、見かけは若い>
うーん、まあ会ってみよう。



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”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー8 アルル 2011.11.10.thu [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.6.tue.8th

アルルに来てホテルが見つかってよかった。
滞在地を移動して最初に気になるのが宿の確保である。
炎天下を、バックパックにカートをゴロゴロひいてホテルを探すのは疲れるのだ。
SNCFの駅からまっすぐロータリーのある公園を抜けて、城門をくぐったすぐのところにそのホテルはあった。
その前に二軒尋ねてみたが空き部屋がなく、町の奥へと歩いていて居酒屋の上がホテルになっていることが気に入ったのだった。
ちょうどその日、祭りがあっていて、店の前にはパエリヤの大鍋や地元の料理がならべてあったから、ここなら夕食の心配もないと思ったのだった。
ホテルの名前は"HOTEL DE PARIS"。
奥のカウンターに入って行き、私が宿泊予定のメモを見せて「ツーナイト」と言うと、おばさんは娘らしき人と顔を見合わせ、部屋の鍵を渡して、部屋を見てみるように私にうながした。
シャワーはあるが、トイレは共同。4.65ユーロの安宿だった。
3階部屋の鎧戸を開けると、下の通りが見えた。
レストラン、ピザの店や文房具やなどが軒を連ねている。その先は広場になっており、カフェが取り囲んでいる。
旅の計画段階では、インターネットのできる宿に泊まり、ネットの予約サイトで宿を決めていく予定だった。
しかし、どこでもネットが可能な訳ではなく、また繋がったとしても予約サイトは持ち部屋の数が限られているようで、条件の良い空き部屋のあるホテルはなかなか見つからなかった。
実際、その町に着いたら歩いて探すのが正解だと思う。
そうすれば、周りの状況がわかるし、宿主がいい人かどうかも判断できる。
ここには、”アルル国際フォトフェスティバル”を見ようと思ってきたのだった。

<最近観た映画>

失楽園 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: パイオニアLDC
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キャタピラー [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル
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ラブリーボーン [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 角川映画
  • メディア: DVD


<最近観たテレビ番組>
ノバク・ジョコビッチの覚醒 テニス新王者 驚異の一年
http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/066620/index.php
感動ドキュメンタリーです。
ジョコビッチは嫌いだったのですが、これ観て好きになりました。
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”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー7 アヴィニョン 2011.11.3.thu [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.5.sun.7th

アルルを訪ねることにした。
アヴィニョンの駅前にはバック・パッカーの若い男女が何人も座り込んでいた。
夏休みの学生たちなのだろうか。
キオスクでミシュランの道路地図とミネラル・ウオーターを買った。
券売機でアルル行きの切符を買い出発の時刻を待った。
発車が近づくと電光掲示板に、列車の乗り場(VOIEという項に表示される)が何番と表示されるはずだが、
"AUTOCAR"とあって、車のアイコンのままだ。
10分前になったので不安になり駅のスタッフらしき男性に"VOIE"は何番か?と尋ねると、
「アウツ、ダウンステア」というので、
「え!バスか?」と言って、半信半疑ながら駅舎から外に出てスロープを下っていくと、あったあった、バスターミナル!
何てこったろう。
掲示板のVOIE NO.19もたしかにあって、たった今バスが到着したところだった。
ギターを持った男に、アルル行きか?と聞くと、そうだと答えがかえってきた。
"AUTOCAR"とはバスのことだったのだ。
フランスでは、列車とバスが同じ掲示板に表示され、乗客はそれを見て列車のホームに行ったり、バスのターミナルに走ったりすることになっているらしい。
地階のバスターミナルは照明が少なく、暗かった。
ごみも散らかり放題で、煙草は投げ捨てるのが習慣のようだ。
夜はこんなところでバスを待っていたくないと思った。
でも、アルル行きに乗れてよかったよかった。
またひとつフランスの慣習を知った。

<最近読んだ本>

アフリカ旅日記 (MF文庫ダ・ヴィンチ)

アフリカ旅日記 (MF文庫ダ・ヴィンチ)

  • 作者: 星野道夫
  • 出版社/メーカー: メディアファクトリー
  • 発売日: 2010/08/25
  • メディア: 文庫


美しく簡素で感動的な文章です

<最近観た映画>

ブロンコ・ビリー [DVD]

ブロンコ・ビリー [DVD]

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • メディア: DVD


こころあたたまる映画です

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