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”ここは楽園 T's Island Photo Gallery” はこちらです
<撮影使用機材> ボディ:CANON EOS 5D Mark II  レンズ:EF70-200mm F2.8L IS II USM、EF24-70mm F4L IS USM、EXTENDER EF2×III  三脚:HUSKY ハスキー3段 #1003

”中年、プチ深夜特急”ー気ままな仏・伊の旅ー20 イタリアーフィレンツェ①  2012.8.20.mon [フランス、イタリアの旅]

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2010.7.18.sun.20th
バーリからフィレンツェへ。

今日は6時に起きて、8時29分のミラノ行きに乗った。
またもやひと騒動した。
チケットに印字された”010”という車両がないのだ。
6両目までは数えたが、その先10両目まであるようにはその長さからいって思えなかったので、また、フランスの列車のように、10-1-2-3-4・・・という繋ぎ方をしているのではないかと思い、先頭の車両に行ってみたが違っていた。
もう発車時刻になろうとしていたので、近くの車両に乗り込んだ。
女性の技師がいたので”010”はどこかと聞いてみると、先頭だというので行ってみるとファーストクラスで、”010”ではなかった。
戻ってきて、先ほどの技師に「ない」というと、そんなはずはないという。
そこへ男性の車掌がやってきたので、技師が聞いてくれた。
車掌は確信に充ちた表情で、
「ラスト」といった。
「ディエチ(10)ある?」と念を押すと、重々しい真顔で頷いた。
行ってみると、最後尾とその一つ前の車両は番号表示の電光掲示板が故障していた。
私は列車が発車してから15分ほどたってようやく自分の席に座ることができた。
私がカートをごろごろ引きながら車内を行きかうたびに、他の乗客は何をやってるんだろう?という視線を投げてきた。
私の座席のまわりも、何で今頃座席につくのか?という表情をしていた。
だってしょうがないでしょう、あなた方の国の列車がいいかげんなんだから。

BARLETTA

隣は中年の細身の女性で、はじめは私を嫌がっているように見えたが、私が最初の停車駅で駅名のプレートを探していると、
「こっち!」と指差して教えてくれた。
「グラッチェ」と礼をのべると、はじめて笑顔を見せてくれた。
イタリアに於いては”グラッチェ”と”ボンジョ-ルノ”は実に役に立つ言葉だ。
ついでにイタリアの地図を見せて「私はボローニャまで行く。あなたは?」と聞くと、
「ミラノ」と応えた。
「ソー ロング」というと、少し笑った。「ソー ファー」というべきだったか。

FOGGIA

葡萄とオリーブ畑の平野が広がる。
その平野の向こうに山脈が見えてきた。
10時14分。
右手に海が見えてきた。アドリア海だ。
このルートは、山も畑も平野もそして海までも楽しめる。

川は緑色に濁っている。

TERMOLI 10時23分。

ビーチが延々とつづく。
アドリア海を右手に眺めながら北上していく。
10時50分。
日本の家族にあて現在地情報を携帯電話のメールで発信した。
11時15分。
PESCARA
まるで、福岡の”虹の松原”のようだ。
松林のむこうにパラソルがならぶビーチがある。
川が緑色に濁っている。

12時。
CIVITANOVA

エアコンが効いてきたので上着を探していて、今朝バーリのホテルのベッドの上に忘れてきたことに気づいた。
気が緩んでいる。
少し腹も壊したし。
いいホテルなら、パスポートをコピーしていれば自宅に送ってくれるかもしれない。
12時25分。
ANCONA
4時間で500Kmくらいか。
しかし、もっと大事なものを忘れずに済んだだけ良かった。
カメラとかパソコンとかパスポートとか。
おとといホテルのレセプションでパスポートを返してもらうのを忘れたからな。
いったん部屋に入ったあとで気づいて、レセプションに取りに戻ったのだった。
気が緩んでいるようだ。
あと残り6日間。気を引きしめよう。

ANCONAを出ると海が急に荒れてきた。
風が強いようで、波が激しく岩礁を叩いている。
近海の水は砂を含んだ黄土色になっている。
もうあと1時間半になってしまった。
珍しい景色に見とれていると、あっという間に4時間が過ぎてしまった。
波の起きやすいポイントなのだろう。
ウインドサーフィンやパラセールで遊んでいるのが見える。
ANCONAを出て30分もすると、海辺のビーチパラソルはもうたたまれているところが多くなった。
人影も少ない。
<旅の幼年期、青年期、壮年期、老年期>(沢木耕太郎”深夜特急”)か。
こんな短い旅でおこがましいが、似たような感慨を覚える。
海はもう完全に濁っている。
福間海岸のビーチで高波に潜ってケタケタと喜んでいた子供たちのことがあたまに甦った。
あそこもウインドサーフィンのメッカだった。
PESARO13時10分。

9519 TRENO
15:23-16:00
BOLOGNA
FIRENZE S.M.N
ES ITALIA AV
24ユーロ

ボローニャからフィレンツェへは、やはりESしかなくて、バーリから通しで買うと20ユーロだったのが、この区間だけ買うと24ユーロだった。
知らないんだからしょうがない。

16時。
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着した。
バーリから7時間30分の旅だった。
列車の中で”歩き方”を見て、ホテルをいくつか選んでいた。
向かったのは駅から歩いて5分ほどの”ホテル・ロレーナ”(Hotel Lorena)。
メディチ家礼拝堂の向かいにある。
不安定なカートをごろごろ引いて、石畳を歩いた。
ここでも、道路工事が行われていて、石畳が掘り返され、立ち入り禁止のテープが張りめぐらされていた。
ホテルは角地にあり、1階はBARで2階にレセプションがある。
階段を上ると、30代くらいの白人男性が20代くらいの東洋系の女の子に応対していた。
ベッドの上にカード・リーダーを置き忘れてチェックアウトしたが、探しに戻ってきたらしい。
男性は忘れ物はなかったが、もし見つかったら連絡すると、連絡先をメモさせているようだった。
女の子が去り、私が予約はないが、2泊空き部屋はあるか?と英語で聞くと、
いまコンピュータが壊れていて、復旧に2時間ほどかかると言い、今日は空きがあるが、明日の分が確認できないと言った。
そして、誰かを呼び出しカウンターの中で調べ始めた。
コンピュータの他に方法はないか?と聞くと、いま”チョウーボ”を見ている、と先ほど呼び出したおじさんを指差した。
15分ほど待ち、部屋の確認ができた。
明日も空き部屋はあるが、部屋が変わると言った。
変わるなら荷物はどうするのか?と聞くと、自分が運ぶと言った。
OK!と言い、チェックインをした。
おじさんは父親らしく、1976年?に創立したときの客、ミウラという日本人がもう40年間も利用していると、何か賞状のようなものを入れた額をうれしそうに私に見せてくれた。
日本人を信頼しているようだ。
部屋に荷物を置き、町にでた。
花の都フィレンツェ?
いいえ、インチキの町フィレンツェです。
ドーモ前のリストランテでビールとローストビーフのセットを注文した。
一皿目を平らげたので、セカンドプレートはいつくるのかと聞くと、ない!という。
看板には、
ロースト・ビーフ9ユーロ

ポテト

サラダ

と書いてあるのに、ローストビーフの皿だけだ。
そういやポテトとサラダも付けあわせで乗ってたっけ(大笑い)。
ビール二杯とロースト・ビーフで21ユーロだった。
あきれてオーナーの顔をのぞいて店を後にした。
ホテルに帰る前に、夜食にファーストフードの店でビールとサラダを買った。
11ユーロ。
ゆで卵と思ってたのはチーズ?
いったい何がいくらだ?!
今夜の食事32ユーロだ!
すごいな!

ホテルの外では「ガガガガガ」と工事の騒音がしているが、窓を閉めるとぴたっと聞こえなくなる。
こういうところが日本の建具とは違う。

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beachboy

kuraさんありがとうございます
by beachboy (2012-08-22 17:32) 

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